中国語ピンインとunicodeの対応(メモ)

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登録

「あの角に、ナショナル現金登録機の店があったんだ」

中心街で信号待ちをしている時、助手席の父が突然口を開いた。

「現金登録機って?」

聞きなれない言葉の意味を尋ねた私に、父が昭和20年代後半の話を始めた。

戦前から私の一族が営んでいた店は、時代背景を追い風に大いに繁盛した。店にはいつも多額の現金があった。しかし、私の祖母が、そしてまだ中学生~高校生だった父が、ひっきりなしに店の金を抜き取った。いくら繁盛店とはいえ、これではもたないと考えた祖父が、販売が始まったばかりの「ナショナル現金登録機」をこのまちで最も早く導入し、現金の出入りを記録することで勝手な持ち出しを防いだ、というのが父の説明だ。

「うちには手癖の悪い猫が2匹いましてね」と、業者に対して苦笑いする祖父の表情を、父は今も覚えていた。

私は祖父の顔を覚えているが、私に物心ついたころには中風で言葉を失っていたので、会話した記憶はない。祖父の死後、父は商売替えをしたので、当時の店はもうない。「ナショナル現金登録機」も見たことがない。

父を実家まで送ったあと、現金登録機とはおそらくレジのことだろうが、松下電器産業の守備範囲が広かったとはいえ、そんなもの作っていただろうかと考えていて思い至った。ナショナル現金登録機とは、National Cash Register、つまりNCRであろう。私が知っているNCRは米国資本のコンピューターのメーカーだが、昭和20年代から新鋭のマシンを導入するということは、祖父には新しいもの好きの一面があったのかもしれない。酒におぼれた挙句、中風にならなければ、祖父とはいろいろな話ができたのかもしれないのにと、生まれて初めて思った。

声調

中国語の発音をパソコンに記録するとき、声調記号を記録する方法がないことに長い間悩んでいました。指折り数えてみればかれこれ四半世紀。Webで中国語の発音を検索したら、辞書サイトにはきちんと発音が声調記号つきで表示されているので、パソコンのWordのVBAで入力ツールを作ることにしました。

ところが、調べてみると例えば同じ母音「i」について、一声、二声、三声、四声に違うキャラクターを使っているようで、めんどくさそうでした。代わりにunicodeの&h300あたりにある(shift-jis時代から文字コードについて考えたことがなかったので、このへんの表現は間違っているかもしれない)記号を利用しました。

たとえば半角で「a」を入力し、その直後にこのマクロを使うと、最初に一声、もう一度押すと二声という順番で記号が変わっていき、四声の次は記号なし(軽声)となります。記号なしのあとでまた一声に。いったんべつの場所にカーソルを移動したあと、任意の場所で上記の操作をすることも可能です。

 注意点は、フォントをarialまたはtimes new romanにしなければならないということです。他のフォントだと微妙に記号と文字本体の位置がずれます。

私はキーボードにショートカットを登録して使っています。ロシア語学習者もアクセントの位置を記録するのに使えるはずです。


Sub 声調記号追加変更()

‘ やゆよ記念財団 2017/8/6
‘ 声調記号追加用簡易マクロ(中国語用 ロシア語にも使えるよ)

Dim str As String, nStr As String

Application.ScreenUpdating = False ‘画面更新を停止して高速化
Selection.MoveLeft Unit:=wdCharacter, Count:=1, Extend:=wdExten
str = Selection.Text ‘str=左側1文字
Selection.Delete ‘更新前の文字列を消去
If InStr(str, ChrW(&H304)) Then ‘一声なら…
nStr = Replace(str, ChrW(&H304), ChrW(&H301)) ‘二声に
Else
If InStr(str, ChrW(&H301)) Then ‘二声なら…
nStr = Replace(str, ChrW(&H301), ChrW(&H30C)) ‘三声に
Else
If InStr(str, ChrW(&H30C)) Then ‘三声なら…
nStr = Replace(str, ChrW(&H30C), ChrW(&H300)) ‘四声に
Else
If InStr(str, ChrW(&H300)) Then ‘四声なら…
nStr = Replace(str, ChrW(&H300), “”) ‘記号を消す
Else
nStr = str & ChrW(&H304) ‘記号がなければ一声
End If
End If
End If
End If
Selection.TypeText (nStr)

Application.ScreenUpdating = True
End Sub

塩分

入院している父に一日付き添った。身の回りの世話はすべて看護師さんや介護のスタッフがプロとして当たってくれるので、話し相手になるくらいしかやることはない。何か別にしてほしいことはないかと聞いたら、父が言った。

「何かごはんにかける味の濃いものを買ってきてくれ。ウニとか塩辛とか」

幼いころからいろいろ苦労はしてきたが、金の苦労だけはしたことのない父は、食べ物に贅沢で、痛みや不便よりも入院食の味の乏しさに辟易していた。退院目標日が医師によって設定されると、入院食をもう食べなくて済むという理由で大喜びした。しかしXデーまであと2週間。それまでの拷問のような食事を乗り切るために、味の濃いごはんのお供が必要だと言い出したのである。

ところが、父の病室には小さくて性能の悪い冷蔵庫しかなく、腐りやすい食品の保存ができない。スーパーに行った私は、まずウニをあきらめた。塩辛の大半はチルドコーナーにあり、これもすぐに腐るのが目に見えていた。最後に見つけたのは常温の瓶詰状態で販売されている「桃屋の塩辛」だった。昔からCMを通じて商品の存在は知っているし、母が買ってきたのを食べたことがあるのかもしれないが、私が自分でお金を出して買うのは初めてだ。

病室に戻り、父に塩辛を渡したが、私は他に用事があったのでいったん病院を出た。戻ってくると夕食の時間になっていた。塩辛はどうなったかと尋ねると、父は不機嫌な顔になった。

「こんなしょっぱいもの食えない」

ずいぶんとわがままな人だと思った。病院食の味の薄さに不満を言い、味の濃いものには「食えない」。少しだけごはんに載せてよくかき混ぜて食べればいいではないか、とは言わずに、ああそうですか、じゃあぼくが持って帰りますとだけ言った。

塩辛は好きなほうなので、帰宅後にあつあつのごはんにかけた。一口食べて思った。

「こんなしょっぱいもの食えない」

大学に入り一人暮らしを始めたころ、塩まみれのワカメを水で洗わずに食べたことがあるが、それに匹敵する塩辛さだった。外国の海でおぼれかけたとき海水をたくさん飲んだが、それとも甲乙つけがたい。とにかくここ数年で食べたもののなかで、ダントツのしょっぱさだった。

うちでは塩辛をよく買うが、どれもチルド状態でビニール容器にパックされている状態の商品だ。函館あたりのメーカーの製品で、桃屋のような全国大手ではない。長くても1週間以内で食べきってしまう。こうした塩辛は、ごはんにかけて食べるものなので多少のしょっぱさはあるが、塩辛いというほどではない。

しかし考えてみれば、これは「塩辛」だ。名は体を表すものであるとすれば、桃屋のほうが本来の塩辛に近い。だいたい、イカの肉を内臓、塩とともに漬けこんで発酵させた塩辛は、日にちがたてばどんどん発酵が進み、やがて食べられない状態まで腐敗してしまうだろう。いまは冷蔵したままで輸送するシステムが整ったから、名ばかり塩辛が増え、私はそれに慣れてしまったが、海から離れた場所に住む人が海産物を食べるには、あるいは水揚げからしばらく期間を置いて海産物を食べるには、干すか、燻製にするか、塩漬けにするかしか方法がなかったのだろう。

後日、母にこの件を話すと、「お茶漬けにすればいい」と言われた。幼いころの記憶に従って、冷飯に残りの桃屋の塩辛を全部のせ、お湯を注ぎ、かき混ぜてからいったんお湯だけを捨て、再び新しいお湯を加えた。塩分はかなり薄まり、半分熱が通った状態となる塩辛の歯ごたえも心地よい。

とはいえ、この塩辛にするためにもう一度桃屋の塩辛を買うかといえば、そんな気にはならない。もっと薄味の、いまどきの塩辛で十分だ。誰がこの商品を購入してロングセラーを支えているのか知らないが、塩辛といえばこれしかないと信じ込んでいる高齢者がたくさんいるとすれば、三木のり平の罪は重い。

 

氷菓

クルマを1時間ほど走らせて、人口数万人の街へ。用事を終わらせ、昼食をとるためホテル3階にある和食の店に向かった。カツ丼にしようか、天丼にしようか。しばらく前に来たことがあるのだが、値段の割においしく、ボリュームもあり、落ち着いた雰囲気も気に入っていた。ところが入口にはぶっきらぼうな張り紙。「通常営業は終了いたしました。ランチは1階の××をご利用ください」。

前回来たとき、それほど客は多くなかった。この日もホテル裏側に車を停めてから3階に行くまで、館内で見かけたのはカウンター係の若い女性一人だけ。ランチタイムのレストランを1階に集約した経営陣の判断は適切だったと、私も思う。

道内地方都市のホテルはどこも経営が苦しい。一昨年、昨年は中国・台湾の観光客が「当たり年」だったが、インバウンド需要は波が大きく、今年もやってくるかどうかはわからない。もっと規模が大きな私の街でも、ホテル経営が苦しいことを象徴するような話があった。

私の父が入院している病院に、父の友人が見舞いに来てくれた。手土産はホテルのアイスクリーム。白いパッケージと黒いパッケージの2種類。どちらかが「プレミアム」の位置付けだった。

ポイントは「ホテル」の3文字だ。いまでは贅沢な材料を使ったアイスが当たり前で、コンビニでもそれほど高くない値段で売っているが、私が子どものころ、市販のアイスはなんのコクも深みもない単純な味で、それより二つ三つも上のランクに「ホテルのアイスクリーム」だけが鎮座していた。ホテルというのは、中心街で昭和30年ごろから営業し、天皇皇后両陛下がお泊りになったこともある老舗のホテルのことである(東京の人にはわからないかもしれないが、田舎の高齢者にとり、皇室御用達の実績には80年代のクルマでいう「ツインカムターボ」くらいの威力がある)。いまや複数のホテルがこの街にあり、老舗のホテルも建て替えやリブランドを経ているが、私を含め多くの市民はここが格式がいちばん上の宿泊施設だと考えている。

そのホテルのレストランで食すことができ、売店でおみやげとして買うこともできるアイスクリームは、子どもの目から見れば唯一の「地元産ぜいたく品」だった。単価は市販のバニラアイスの4~5倍はしたのではないか。私もしばしば、父が家へのおみやげとして買ってくれたのを食べたことがある。私はそんなに冷たいデザートが好きなわけではないのだが、ホテルのアイスクリームはうまかった。その印象があまりにも強かったので、大きくなった私の子どもが帰省したさいも、しつこく「ホテルのアイス食べるか?」と尋ねずにはいられなかった。

ところが、である。父の病室でプラスチックのスプーンを使い、アイスを一口だけ口に運んで愕然とした。懐かしい味。でもこれは、私が子どものころに食べた「近所の駄菓子屋で売っていた安物のバニラアイスの味」である。ホテルのアイスは一口食べただけで、良質な卵黄をたっぷり使っているのが子どもの舌でもわかったのだが、これは安っぽい粉みたいな味しかしない。白、黒のどちらかが廉価版、どちらかがプレミアムなのかとも思ったが、どちらも同じ安物の味だった。残しては父の友人に失礼なので完食はしたが、病室内の冷蔵庫に入れた残りのアイスクリームは食べる気がしなかった。父も母もいらないといったので、買ってきてくれた人に申し訳ないと思いながら、翌日にはほとんど捨てた。

あまりの落差の大きさに、私は何かの間違いではないかと思い、数日後にそのホテルの売店に行ってみた。アイスケースの中を覗いてみたが、やはり白と黒の2種類しかなく、昔ながらのアイスは「スーパープレミアム」と名付けられて販売継続中との期待は完全に外れた。

がっかりして売店を出て、ホテルのロビーを通って外に出ようとしたら、目の前に総支配人が立っていた。「あんなの食べさせられたら古くからのファンはがっかりしますよ。もうアイスを売るのはやめたほうがいい」と言おうと思ったが、やめた。

なぜアイスがまずくなったのか、だいたいの予想はついている。

このホテルでは十年ほど前からオーナーと運営業者が何度か交代している。もともとは市内に大工場を持つ有名メーカーが、他の街から来た大切なお客様をもてなす格式の高いホテルがないのは、街の発展を妨げるとして経営に乗り出したホテルだった。以前はメーカーの子会社が直接運営していた。メーカー本体が儲かっていたから、ホテルに対する厳しい要求もなかった。

しかしバブル崩壊後にメーカーは多角的経営を見直して本業に集中。ホテルはファンドに売却された。ファンドはホテルの経営術を知らないから、東京の専門業者に運営を任せた。とはいえ、東京から来るのは総支配人など幹部1~2人だけ。地元採用の従業員、地元の業者などを使い、ファンドが投下した金額に対して一定の収益を上げることだけが、運営業者の使命となった。

目標を達成するにはどうすればいいか。売り上げを伸ばすか、利益率を高めるか。東京はともかく、地方では不況が続いているので、それは難しい。簡単なのはコストを切り詰めることだ。食材の質を下げる、従業員の賃金を下げる、必要な建物の修繕を先延ばしする…。

2年ほど前、両親と一緒にこのホテルの和食レストランで、ちょっと値段の張る料理を頼んだことがある。あまりのまずさに父は驚き、ほとんど箸をつけなかった。リブランド前を含め、約50年このホテルのレストランを利用している父は、こんなものを(結構な値段で)食べさせられる時代が来たことが信じられなかったようだ。

なぜ私が目の前に立つ総支配人に対して黙っていたかといえば、年度末で離任することが決まっているからだ。約1年前に有名企業がこのホテルを入手し、4月には新しい支配人が着任する。現総支配人はすでに商品の質を高められる立場になく、アイスクリームについての不満を伝えても悪口にしかならない。

もっとも、このホテルはまだマシなほうで、後発のライバルホテルは、同様にファンドに転売された挙句、売り上げのうちオーナーが2割、運営業者が2割を自動的に持っていくので、残り6割ですべてを賄わなければならず、現場は頭を抱えていると出入りの業者に聞いたことがある。

さて、新体制で老舗ホテルのサービス品質は新年度にどう変化するのか。「改善を求めたい」と言うのは簡単だが、そのためには単価を高めなければならない。宿泊客はともかく、結婚式、宴会やレストランを利用する地元客にそれだけの購買力があるとは思えない。新しい総支配人に会う機会がもしあれば、「誰にも気が付かれないようにこっそりと、アイスは全部投棄して、二度と売らないほうがいいですよ」とアドバイスしたい。

狄威

そんなに詳しくないことをつらつらと書く。

最近の香港アクション映画のスターといえば、甄子丹(ドニー・イェン)らしい。スターウォーズ最新作の予告編にそっくりな人が出ていると思ったら本人だった。最初にすごい人がいると驚いたのは、李連杰と対決した黄飛鴻パート2。いまウィキペディアの中国語版で確認したら、この2人は北京の体育学校時代の同級生だとか。私の「すごい同級生ペアランキング」でフランキー堺&小沢昭一を抜いて1位になった(3位はバーブラ・ストライサンドとアメリカ人チェス世界王者のボビー・フィッシャー)。

しかし、私にとっての香港アクション映画スターといえば、甄子丹でも李連杰でもない。ブルース・リーの映画は真剣に見たことがない。成龍(ジャッキー・チェン)は好きだが、ジャッキーよりすごいのがいる。狄威(ディック・ウェイ)、プロジェクトAで海賊の親玉を演じた人だ。もちろん、私にとっての海賊といえば、狄威しかいない。

プロジェクトAは、成龍とユンピョウとサモ・ハン・キンポーが共演した豪華キャスト映画だった。そんなに大量の映画を見たわけではないけれど、これ以上にスターを揃えた映画は、他に「(藤)純子引退記念映画 関東緋桜一家」しか知らない。

その三大スターとプロジェクトAのラストで堂々と渡り合うのが狄威だ。3人が束になってかかって、倒せるか倒せないか微妙なところなのだから、香港映画史上に残る強さであろう。三大スターのギャラの合計はもちろん狄威を大きく上回っていたはずで、ギャラ比を考慮しても狄威の強さは際立っていたと確信する。

私が最初にレーザーディスクでプロジェクトAを観たとき、狄威すげぇと思ったのは、映画の本編が終わってジャッキーファンおなじみのNG集が始まったときだった。アクロバットがうまくいかず転んで、落ちて、ぶつけて苦悶の表情を浮かべるジャッキー、セリフを間違えて笑うジャッキー。映画の中以上に表情が豊かなジャッキーや他のキャストと対照的に、狄威はNG集のなかで他のキャストがトチっても怖い顔のままだった。当時たしか中学生だった私は、狄威だけは本物の海賊か、そうでなければヤバい人で、一人だけ撮影現場のなかで浮いているために笑わないのではないかと本気で思っていた。

さて、狄威は台湾南部、屏東の出身で、検索してみたところ、2015年3月の新聞記事にヒットした。いまは芸能界とは距離を起き、故郷に戻っているらしい。カンフー道場を開いて後進を指導したいとこの記事の中では語っているが、ぜひ最低でも3人は育ててジャッキー、サモハン、ユンピョウを一人ずつ潰してほしいものである。

欠航

週末、東京に行くことになっていたのだが、キャンセルした。今朝は東京のどこかで朝食を取っていたはずなのに、自宅の台所でレトルトのペペロンチーノを作って食べた。

昨夜、空港のカウンターで手続きを済ませたときには「出発時刻は予定よりも5分遅れ」と言われた。早めに検査を済ませて待合室に入ったら、「メインタイヤにパンクが発見されました」とのアナウンスがあり、しばらくして「交換に1時間半かかります」との追加情報。まあ、羽田からの終電に間に合えばいいかと、持っていたパソコンを開いて仕事をした。

ところがその1時間半が経ったころに再度のアナウンス。「もう一つのタイヤでもパンクが発見されました。当空港にはスペアのタイヤが一つしかございませんので、欠航とさせていただきます」。旅慣れている人はすぐに保安検査のゲートをさっき通ったのとは逆方向に走った。翌日(つまり今朝)の便の空席をいち早くゲットして、東京に向かった人も多かったのではないか。私はパソコンソフトを終了してケースに入れ、さらに旅行かばんにしまうのに手間取り、大きく出遅れた。

それからが長かった。欠航のアナウンスは9時すこし前。航空会社は4つか5つのカウンターに係員を配置して、払い戻しや便の振り替え、預けられた荷物の返還などの対応に当たったが、それでも列はなかなか進まず、私に番が回ってきたのは10時50分だった。

その間に多くの人がスマホやタブレットを使っていた。私の場合、家族がネットで予約手続きを行ったので、変更に必要なIDなどがわからず、また余計なお金がかかりそうだったので、列に並ぶしかなかったが、搭乗券のQRコードを読み取るなどの方法で、もっとスマートに払い戻しや振り替えの手続きを行うしくみを整えれば、みんながラクになるのにとの不満は感じた。

私から見えるところに、欠航に対して怒っている人はいなかった。少し前、新千歳空港で大雪による遅れに中国人観光客が怒りを爆発させる映像(あれは空港会社への不満というよりも、特定の航空会社の利用者が、他の航空会社の便が優先されてどんどん離陸していくことに怒ったと聞いた)が流れていたが、もちろんあのような事態にはならなかった。私も、機材の故障はあることで、むしろリスクを放置したまま離陸するよりは安心できると考えて、自分を納得させた。

しかし、この航空会社の対応には落ち度がある。タイヤ1個の破損を把握した段階で、他のタイヤに問題がないかまず確かめるべきだった。欠航の確定が1時間半前倒しされれば、振り替え便の予約もスムーズにできたかもしれない。時間的にはぎりぎりだが、陸路新千歳に向かい、昨日のうちに東京に戻ることができた人もいたのでないか。

気の毒なのは、行列で私の前にいた若い女性だ。受験なのか就職面接なのか知らないが、行列の近くにいた空港のスタッフに「絶対に今日のうちに東京に行かないとだめなんです。明日の第一便では間に合いません」と泣きそうな声で話していた。昔は国会議員などVIPからの急な要請に応えるため、満席便でも予備の席を確保してあると聞いたことがあるのだが、これは私が初めて耳にした30年前にすでに都市伝説だったので、女性が無事東京に行き、重要な面接だか会議だかに間に合ったのかどうかわからない。

200人以上が乗る航空便なのだから、他にもこうした事情をかかえた乗客はいたはずだ。それなのに、私も含めて1人も怒りの感情を表に出す人がいない。これはこれで異常なのではないか。何人か外国人の乗客もいたが、「日本人サイコー」というよりも「日本人不気味」と感じたと思う。

私はようやく順番の回ってきたカウンターで、非常に対応が丁寧な女性の係員に、乗れるのは一番早くても翌日午後の便だと告げられ、東京行きそのものをキャンセルした。行き・帰りの便の代金全額が払い戻された。これで手続きは終わりですねと確認して帰ろうとしたその瞬間、左の方のカウンターで高齢の男性が発した「だから責任者呼んでこいよ」との怒号が聞こえた。

「いい年して、若い女性スタッフに大きな声出すなんてみっともないね」と後ろ指をさされるのを覚悟で、おそらくは200人超の乗客の心の中で少しずつ膨らんでいた不満を合計して代弁してくれたおじいさんに、私は内心、感謝している。