愛人

 NHKの地方局の裏側にあるアパートの一室を、小学生に上がる前まで母、兄とともに1ヵ月に一度訪れていた。そこに住んでいた母方の祖父を訪ねるためにである。

 祖父は、私の祖母ではない女性と同居していた。私が生まれる前に他界した祖母とは仲が険悪になり、料理屋を営んでいたその女性を選んだのである。名前は覚えておらず、顔も短髪だったことしか記憶にない。ただ、一度訪ねたことのある料理屋の名前と、飲ませてもらった瓶入りコカ・コーラのおいしさ、そして「客に勧められるまま一度だけ馬券を買ったら当たった」と喜んでいたことだけは覚えている。

 もう一人、というかもう一匹、マルチーズも暮らしていた。家の中に犬のトイレがあった。

 私の母は、その母が早死にし、弟も早死にし、兄(私のおじ)は当時、ほぼ音信不通になっていたので、唯一の血の通った肉親である父の顔が見たくて、私達兄弟を連れて通っていたのだろう。

 私は当時、小学校にもまだ上がっていなかったので、楽しみでもなかったし、かといってイヤでもなかった。単なる恒例行事なのだと思っていた。

 しばらくして、祖父が死んだ。ぜんそくを患っていたので、母は覚悟していた。葬式は、祖父の本家で行われた。祖父と本家の間もそれほど良好ではなく、初めて会う親戚ばかりだった。それが最後になった。

 祖父の死後、一度だけ、母に連れられて祖父の暮らしていた家を訪ねたことがある。母とその女性の間でどんな会話があったのかは知らないが、伝えておかなければならないことがあったのかもしれない。この女性とも、それが最後になった。なぜ行かないのか、疑問に思って私の兄に尋ねた。

「だって、母さんの立場から言ったら、家庭の幸せを壊した犯人ってことだろ」という兄の説明にハッとした。

 数年後、尋ねてもいないのに母がその女性の消息を私に伝えた。ある日、新聞を読んでいた母の目に、その女性の名前が止まった。山菜取りに入った山で道に迷い、衰弱死したのだという。母は、葬式に行かなかったとも言った。最近になって母から聞いたのだが、祖父は、その女性とずいぶん昔に知り合い、恋仲にもなったのだが、どういう訳か(そういう時代だったのだろうが)私の祖母と結婚することになった。ところがあきらめきれず(相手の女性が離婚したために、だったと聞いた記憶もある)、また関係が始まったというのだ。

 母によれば、祖父はおもしろい人だったのだが、弱い癖に酒が好きで、また商売の才能がまったくなかった。私が祖父に親近感を抱くのはその一点しかない。

 NHKの地方局は、私の勤務先から数百メートルの場所にある。その裏側に、50年ほど前にはよく訪れていたアパートがある。古いのに3階建てなので鉄筋コンクリート造であろう。いまも人が住んでいるかはわからない。そのアパートの横を通るたび、世界でここだけ、形容のしようのない感情が湧き上がる。

遺産

 父が亡くなり半年余りが経った。頭のいい人で、縁にも運にも恵まれていた。高級自動車も高価な服も酒も愛人も必要なく、たぶんそんなに長生きしない私には十分なお金を残してくれた。パパありがとう。母も毎日感謝の気持ちをこめて仏壇に手を合わせている。

 無借金が人生のポリシーだった父。負債はこれといってないのだが、資産の項目数が多いので手続きに手間と時間がかかっている。かなりの部分が、帳簿には書いてあるが実体のない資産だ。一部、税理士が所定の方法で算出したら数百万円の価値があると言っているが、不景気に包まれた地方都市の不動産市場で売りに出したら100万円以下、建物解体費用を差し引けばマイナスになるかもしれない資産もある。

 父の金庫を調べていたら、昔、父が出資した会社の株式が何枚も出てきた。いくつか、いまも継続している会社のものがある。いずれの経営者とも、父は長年のつきあいがあり、この時代、そんなにラクな経営をしているわけではないので、出資金を返してくれと相続人である私や家族から言うことはないだろう(途中で会社をたたむのなら別だが)。

 それ以上に多いのが、いまや実体の残っていない企業や団体への出資金などの証書。いくつかの顛末は私も父から生前聞いている。

 例えばエステ関係の企業。とても(悪い意味で)調子のいい経営者だったのだが、いまから15年ほど前、不祥事が明るみに出て経営が悪化。ある日、ぶっといタラバガニの足が数本入った発泡スチロールの箱を携えて父に会いに来た。「いやあ、(私の父)さんにはお世話になって。ほんと、ありがとうございます」。ここまでは毎年の口上。そのあとが違った。「ところで、近く破産しますのでよろしくっ」。口調は「カニ食べて」と同じくらい明るかった。父には100万円ほど損させたはずだが、タラバガニで許してもらえると思ったのか。足5本だとしたら1本20万円。が、父はその人物の悪口を死ぬまで言わなかったので、そういう世間の感覚とずれた豪快さが気に入っていたのだと思う。直後、この人物はこの街から姿を消した。生死もわからない。

 もうひとつの出資先は、地方都市としては珍しいIT周辺企業。その社長は若いころ、ある業界団体の青年部代表を務めた人で、こんな田舎町では珍しい全国区のホープだった。次の時代はITだと踏んで平成初期に新会社を設立。10歳ほど年上の私の父に100万円ほど出資させた。

 が、経営はうまくいかなかった。いきなりの大型受注に成功したものの、悲しいかな経験がなく、スケジュール管理ができないまま、あれよあれよという間にスタッフの工数だけが伸びて大赤字。大幅減資で、出資金が事実上ゼロになるとの報告に来た社長に、父は珍しく声を荒げた。社長は平謝りだったが、後日飯を私と一緒に食った時、「あんたの父さんには、こっちも他の仕事でずいぶんと損させられたんだけどな」とぼやいていた。勘定は私が持った。

 話には続きがある。もうIT系の仕事はこりごりと思った社長は、新分野への進出を画策していた他の企業の若手社長に、「絶対儲かるから」と声をかけ、この会社の経営を押し付けた。それから10年は儲からなかった。いま儲かっているかどうかよく知らないが、日本人ならおそらく誰でも知っているだろう商品の生産の根幹に深く関わっている。

 父の世代だと、不用意に連帯保証人になったばかりに、またはバブル期に銀行の口車に載せられて巨額の借金を背負って不動産がらみの事業に乗り出し、その後、一文無しになった人も少なくない。付き合いの広い人だけに、身をかわすことができたのは立派だと思う。

 父の最後の入院先には、意識を失うその日まで使っていたと思われるスマホがあった。最後に電話をかけた相手は証券会社の営業。ちょうど株価が上昇する局面だったから、残高の合計額を聞いた父は一片の悔いもなく、この世に別れを告げたのではないかと思う。

艶福

 休日の朝、スマホが鳴った。葬儀会社の経営者からの電話。


 「Xさんの奥さんが亡くなりました。息子さんは誰にも知らせず、通夜も何もせず、明日火葬すると言っています。一応、連絡したほうがいいと思って」

 Xさんは3年前に亡くなった。私の亡父とは60年以上にわたる友人で、私の両親とX夫妻はある時期まで一緒に旅行に行くような関係だった。それを知って連絡してくれた葬儀会社経営者に、私は礼を言って電話を切り、母に電話した。「私は行かない。あなたがお参りに行って。香典は私が出す」と母。そこで私はクルマを運転し、Xさんの自宅に向かった。

 ハンドルを握りながら、X夫妻の子息、Yさんに言うべきことを考えた。Yさんは若くして離婚しており、父親が急死してからの3年間、Xさん妻はYさんとの2人暮らしだった。ちょっと気難しいところのあるアラ還のYさんは、晩年の父親との関係は良くなかったが、認知症が進行した母親の面倒をよく見ていた。Yさんは趣味のためにクルマを数百キロ走らせることがあるのだが、母親も助手席に乗せていた。愛する息子とどこまでもドライブできることを、母親は喜んでいた。もっとも遠く離れた町で母親が発作を起こし、ヘリコプターで運ばれて九死に一生を得たこともあった。

 頭の中のYさんとの会話を練習した。「さぞかしご心痛のこととお察ししますが、しっかりこれからの人生を歩んでいくことを、お母さまも望んでいらっしゃるはずです」「健康には気を付けてくださいね。昔みたいにコーラの2リットルペットボトルをラッパのみするような生活をしちゃだめですよ」。いや、私がそんな忠告をして気を悪くされても一円の得にもならない。「ご両親には私の父が生前、大変お世話になりました。ご冥福をお祈りします」とかなんとか言って、線香あげて速攻で帰ることにした。

 Yさん宅に到着し、チャイムを押すと中から明るい声が聞こえてきた。「お線香、上げさせていただいてもよろしいでしょうか」と尋ねる私を、Yさんは母親の遺体が布団の上に安置されている部屋に案内した。私は不慣れながらも一応の作法に従い、焼香して手を合わせた。

 それではこれで、と帰るのも世間の流儀から外れていると思い直し、居間のソファに腰かけて、どのようなかたちで亡くなったのかを言葉を選びつつ尋ねた。知らなかったのだが、半年前から何度か発作を起こして入院していたという。

 「お母さまがなくなられて一人暮らしになりますが、食生活とか気を付けていますか」と言った直後、余計だったかなと後悔する私に、Yさんは立ち上がって横を向き、「ほら」と自分の腹を指さした。数年前、甘いものが好きでブヨブヨしていたYさんの腹が引っ込んでいた。胸板や上腕部の筋肉も服の上からわかった。「ジムに通っているんです。母親が入院してから、時間ができたので。休みの日は隣の畑を耕してます」というYさんの口調は、母親が亡くなった直後であり、その亡骸がわずか数メートル先で横たわっていることを考えれば、不適切ではないかと思われるほどに明るく元気だった。

 「でも、お母さんが亡くなってさみしいでしょう」と、母親が亡くなった直後のアラ還息子のイメージに近づけるため、私は質問を重ねた。

 「あ、ぼく、女性にモテるので、大丈夫です。さみしくないんです」

 Yさんが言うには、両親には隠していたが、若いころも、離婚してからも、女性との縁が切れたことがないのだという。Yさんは頭髪がほとんど残っていないのだが、病的というよりは、男性ホルモンが過剰なための禿げ頭であり、鼻の下からあごにかけてよく手入れしたひげを生やしていることから、エネルギッシュな印象がある。Yさんがモテるだろうと意識したことはなかったのだが、考えてみれば、私たち夫婦が深夜に買い物をしていた時などに、Yさんがやや年下と思しき女性と一緒にいるのを目撃したことがある。他のイベントにも、別の女性と来ていた。言われてみれば、Yさんは艶福家なのかもしれない。

 Yさんは女性との関係について、両親には秘密にしていた。とくに母親は、息子を他に取られると恐れて過剰反応するような人だった。母親が死んだ今、その遺体に届くような声で、Yさんは「ぼくはあっちの方が強いんです」とまで言った。「女性と関係を多く持ってテストステロンを出したほうが健康にもいい。長生きしますよぼくは」

 お笑い芸人のネタにもなったが、男がモテると考えるのはほとんどが過剰な自意識による誤解であり、相手は関心がないか、嫌悪感や恐怖心を抱いている、と私は長年の経験から確信していたのだが、Yさんは女性が自分に好意を抱いているのはすぐわかり、その後、実際に深い関係に発展するので、明らかに誤解ではないと言い切った。Yさんには短気なところがあり、交際相手に怒りをぶつけることがあるので、関係は長くは続かないが、次の人がすぐ現れるので構わないとも言った。自営業者のYさんは仕事がら、30~40歳の女性と会うことが多いのだが、「仕事相手には絶対に手を出しません。相手が私に言い寄って来る時もです」。私は、Yさん宅を訪れた本来の目的も忘れて、なるほど、へー、ほんとですか、と感嘆しつづけていた。

 思いのほか長い時間を過ごしてしまったことを詫び、帰ることにした。外に出て、クルマの窓を下げた後、見送ってくれるYさんに対し、あらかじめ考えていた「どうかお元気で」ではなく、「どうか、別れ話のもつれから刺殺されたりしないでくださいね」という言葉が、本心から出た。

交換

 困ったことになった。自転車の後輪のタイヤが破れて、チューブも穴が空いてしまった。10年ほど前、100円ショップで修理キットを購入し、ママチャリのパンク修理に挑戦したことがあるが、結局うまくいかなかった。いま乗っているのはネット通販で個人から購入した中古クロスバイクなので、GIANTなどのクロスバイクを扱っている店には持って行けば「けっ、貧乏人が」と舌打ちされるのがわかっている。かといって、じいさんが細々と営んでいる昔ながらの店では、クロスバイクのパンク修理など経験がないかもしれないと思った。個人経営の自転車屋の経営が苦しいのは、私のような安物の中国製品を買う輩が増えたからであり、どのツラさげて修理を依頼するのかとの負い目があった。

 しかし、パンク以外にこれといった問題がない自転車を捨てるわけにもいかない。まず、厚い壁であることを覚悟しつつ自分で修理してみることにした。どういうわけか入手した時点で私の自転車は前後輪ともにタイヤが白で、白い革靴のようでかっこ悪いと思っていた。前後で色が違うのもかっこ悪く、前輪もすり減っていたので、ホームセンターで黒いタイヤ、チューブを2本ずつ買った。前輪はレバーを操作すれば外れるタイプだが、後輪はナットで締めてある。うちにある車用のスパナではサイズが合わなかったので、百均でモンキースパナ(ネジを回してサイズを調整できるスパナ)を2つと、パンク修理キットを買った。

 帰ってきて作業を始めたが、一番最初、つまり後輪のナットを回すところでつまずいた。百均モンキースパナは精度が足りないのか、固く締まったナットが回らない。ホームセンターで、後輪用のスパナ(15ミリ、1000円)を買ってきた。

 後輪は外れた。タイヤもチューブも外れた。ところが、新品のタイヤ、チューブがリムにうまくはまらない。悪戦苦闘すること1時間。ようやくはまったが、空気を入れている途中で「パン」という音がして空気が一気に抜けた。タイヤとリムの間にチューブがはさまっている箇所がある状態で無理に高圧の空気を入れたのが原因で破裂してしまったらしい。という素人なりの分析は、失敗の後で見たyoutubeの「クロスバイクのパンクの直し方」に基づく。

 ああもう来年春まで自転車には乗らないと決めたものの、それも大人気ないと考え直し、もともと前輪で使っていたチューブを後輪で使って修理に再挑戦した。再びの悪戦苦闘。空気を入れてみたが、今度はパンと言うどころか、全然膨らまなかった。ああもう2028年の春ごろまで自転車はやめようと決めたが、それまで物置の一部を役立たずの自転車に占有せさせておくのもいかがなものかと思い、ネットで「自転車店」を検索した。近所で数軒の店がヒットした。クロスバイクやスポーツ車を中心に扱っていそうなところは、ピチピチのウェアを来たマニアに白い目で観られそうなので最初から除外。残ったのは、イオンやホームセンターの自転車コーナーに客を取られ、いまではやっているのかいないのか判断がつきにくいような自転車店ばかりだった。

 割と近所に、そのうち1軒があったので、クルマの荷室に自転車を載せて行ってみた。おそるおそる店の引き戸を開けたら、一見して不動在庫とわかるタイヤやらチューブやら荷台やらが積み上げてられていて、手書きで「中古7000円」などと書かれたママチャリが数台あった。奥から出てきた70歳近いと思われる小汚いオッサンにいきなり怒られた。

「そんなふうに停めるやつがいるか。斜めにしろ斜めに」

 まっすぐ駐車しても私のクルマの尻は歩道に突き出ていないのだが、大人しく言われた通りにクルマを斜めに駐車しなおした。後輪がパンクしたままの自転車を押して店内へ。事情を話すとまた怒られた。

 「途中で諦めるやつがいるか。諦めるってことは、せっかく買った工具が無駄になるってことだろ。何十回も修理の経験を重ねて、少しずつうまくなっていくものなんだぞ」

 いや、私は自転車屋になりたいわけじゃなく、自分の専門分野ではそこそこ経験も積み重ねて…とはもちろん言わない。「師匠(もう私はこの時点から師匠という言葉を使っていた)なら簡単でしょうが、私がパンク修理できるようになるまであと何年かかるかわかりませんし」

 「ばっかやろう。そんなことだからいつまで経ってもうまくならないんだよ。ほら、見せてみろ。あっ、フランス製か。うちはフランス製チューブの空気入れは置いてないぞ」

 自転車チューブのバルブ(空気の出し入れ口)には英式と仏式があり、一般的なママチャリは英式、クロスバイクやスポーツ車の多くは仏式。私のも仏式。だから修理はできない、帰れと命じられるかと思ったら、しょうがねえな、そんなこことも知らないのかなどとブツブツいいながら、作業をはじめた。ダイソーで私が買ったパンク修理セットに入っていたものの体積比で数十倍ありそうな鉄製のレバーを挟み込み、後輪のリムからタイヤとチューブを外す。当たり前とはいえ、さすがプロ。小気味良いくらい手際がいい。

 「おい。空気入れてみろ。その空気入れ動かして」

 店の奥から出て来る時から気がついていたのだが、オッサンは脚が悪くて空気入れが上手に使えないようだ。バルブの先には、オッサンが引き出しの中をごちゃごちゃかき回して引っ張り出した小指の先よりも小さな英式→仏式のアダプターを当てた。私が左手で空気入れの先端をバルブに当てて、右手で空気入れを動かした。オッサンがすぐチューブの穴を見つけた。「穴が空いてますかね。それ1か所だけですかね」などと聞く私をオッサンは「いま見てるだろ。お前みたいな気が短いやつは初めてだ」と制しながら、あれよあれよという間に穴を塞いだ。それでも空気が抜ける。穴が3つ以上空いているとわかった時点で、「こりゃだめだな。チューブが穴だらけだ。うちはこういうクロスバイク用のチューブは仕入れてないから無理だ」とオッサンも白旗を上げた。

 恐る恐る聞いてみた。「師匠、私がホームセンターで新品のチューブ買って来てもいいですか」。いい加減にしろ、と怒られるかと思った。チューブの仕入れ代金に利益を載せて、交換の手数料も取って、はじめてこういう自転車屋の経営が成り立つはずだ。ところが意外にもオッサンは「いいぞ。いま買ってこい。待ってるから」。申し訳ないと思いながら、最寄りのホームセンターの自転車部品売り場に行き、3本目となるチューブを買って戻った。

 同じ場所に同じ姿勢で座っていたオッサンは「こんな粗悪品のチューブがあるのか」と驚きながらも作業を再開した。「よく見てろ。チューブはまずタイヤに入れる。それからタイヤをリムにはめる。最後の最後、手作業で無理なところだけレバーを使う。レバーは先端を少しだけひっかける。ほら。簡単だろ」

 「いや、師匠は経験が豊富だから、すいすいできますけど、私はとてもとても」

 「だから、何十回も経験しないとできないんだって」。おっさんは本気で、もう私がここに来なくてもいいようにチューブ交換のコツを教えようとしているようだった。

 お値段は3000円。チューブ代金は別に私が負担したとはいえ、パンク修理2か所、チューブ交換で7000円くらいは行くかと思っていたので、「すいません。そんなに作業してもらって3000円なんて。万札しかないんですけどいいですか」と言ったら最後にまた怒られた。「みんな俺が金がないと思って大きな札ですいませんと言うが、おれだってお釣りにするくらいの金はある」。

 帰宅後、自宅付近をぐるっと一周してみたが、完璧に直っていた。不安は、素人仕事でなんとかチューブを交換した前輪のチューブもボロボロになっていて近くパンクする可能性。その時は迷わず同じ自転車屋に行く。面と向かって怒られる機会がこのところすっかり減っていた私にとっては貴重な店だ。

遺失

スマホを買い替えた。スーパー内のショップに張ってあった「iPhone1円」のPOPにやられた。

4年間使い続けたアンドロイド機に不満があったわけではないが、あるアプリがiPhoneにしかなかった。乗り換えてみると、戻るボタンや、(カーソル用)◀▶ボタンがないので不便に感じること以外はすぐになれた。ただ、ロシア語のアクセント記号が入らないという致命的な欠陥があった。いまさら別のスマホを買うわけにはいかないので、我慢して使おうと思っている。

まだまだ使えるアンドロイド機からはsimカードを抜いたが、家でyoutubeやyoutube musicをダウンロードをしておいて、外出先で見たりするなど、サブ機として使うつもりだった。ところが、ある日を境に見えなくなった。だいたい、そういうものは、妻の車の後部座席の下とか、会社の書類の束の間とかに隠れている。いつかは出てくるだろうと考えて、思い出したときに探していたが見つからない。怪しいと思った喫茶店に電話をしたが、「うちは毎日掃除して確認してますがありませんでしたよ」と言われた。喪服のポケット、1~2カ月に一度行く場所のソファの裏まで探したが不明なまま。使う使わないではなく、万一、パスワードを破られていろんなデータが読み取られるのはイヤなので、最後の手段として警察に行った。

窓口の女性職員に、いつごろどこでなくしたのか、スマホの特長はあるかなどを書類に記入するよう言われた。色は何だったか。紺だったような気もするし、紺はカバーの色で黒だったような気もする。「黒か紺」と書いた。最後に使ったのは、google mapに記録されていたログから約1ヵ月前だとわかっている。simなしなので、wifiが届く我が家の前が最後の所在地だった。書類に記入し終えてしばらく待つと、職員がパソコンで何かを検索してから、金属のロッカーを開いて中から箱を取り出した。数分後、窓口に戻ってきた。スマホは見せてくれない。

「なにか外観に特長はないですか」

私は型番をネット検索して、メーカーや販売業者のサイトにある外観の画像を見せた。「ここにイヤホンの穴があり、その隣がスピーカーで、右側にボリュームボタンが…」。パソコンに戻る女性職員。上司らしき人物と話し合ってから戻ってきた。

「youtubeでどんな映像を見てましたか」

私が挙げた特長に合致するスマホが届けられているようだ。私は、パスワードを入力させてくれれば私のものであることが証明できると考えていたのだが、そういうことはさせてもらえないらしい。代わりに、ユーザー証明のためyoutubeのよく見るジャンルを問われているのだ。私は旅行とか、電車や車でいろんな場所に向かう運転席からの映像とか、当たり障りのなさそうなジャンルを揚げたが、職員は首を傾げている。時間がなかったので、私は意を決して、50代半ばの男としては、ものすごく恥ずかしくはないが、ちょっと恥ずかしいジャンルを観ていることを、30代らしきその女性職員に打ち明けた。

「うーん」。首をかしげながら職員は上司のデスクに戻っていき、また何か話し合っている。

「旅行の映像は、どこに行くんですか?」

「道内とか、いろんなとこです」

何度目かの討議を経て、約1ヵ月ぶりにスマホが私の手の中に戻ってきた。ガラスが粉々になっていた。「クルマに踏まれたようですね」と職員。銀行の前の路上に落ちていたのを通行人が見つけて警察に届けてくれたのだという。通行人は名前を残さずに立ち去ったというが、こう証言した。「拾った瞬間には東京から大阪に旅行に行く映像のタイトルが映っていた」。映像のジャンルを尋ねられた理由がわかった。

スマホは電源こそ入るが、画面操作ができず、ログオンもできない状態。ガラス交換には1万円以上かかるらしいので、たぶんこのまま完全引退であろう。

小学1年の時に行方不明になった白地図から始まって、人生で膨大な数のモノをなくしてきた。これまで、タンスの裏、ベッドの下、ソファのマットの奥などに埋もれている様子を想像してきたのだが、実際には外で落としてしまったものが多いのかもしれない。どれももう戻ってこない。私が好きなジャンルを打ち明けたちょっと恥ずかしい言葉も。

伯父

 昨日、出先での用事を終えて会社に戻る寸前、入り口近くの歩道を歩いている小柄な老人を見かけて「あっ」と声が出た。Mさんではないか。会社で1〜2年に一度、ある手続きを依頼してきた「士業」事務所の代表だ。


 今年初めにも恒例に従って、必要な書類を揃えてMさんの事務所を訪れた。Mさんは留守で、ベテラン事務員の男性が私に申し訳無さそうに告げた。


「代表は入院している。書類だけ置いていってほしい。手続きは代表の指示に沿って私がやる」。歩いて帰社したら、机の上にメモがあった。「M事務所より。代表と相談したが手続きはできない。他をあたってくださいとのこと」。Mさんは80代中盤。このまちの同業者の間ではおそらく一番のベテランで、このまま引退しても不思議ではないと思った。麻痺がのこり、仕事ができなくなり、少しずつ気力体力が衰えていくMさんを想像した。

 そのMさんが、傘を杖代わりにしているとはいえ、独りで歩いている。ゆっくりではあったが、足取りはしっかりしていた。思わず私の勤務先に招いて、応接室でこの数ヶ月間の空白について聞かせてもらった。

 それにはわけがある。Mさんは私の会ったことのない伯父、Tの幼馴染なのだ。Mさんは、入浴していて足に違和感を抱いたものの病院に行かず翌朝外出し、車から降りようとしても片足に力が入らなかったので病院に行ったら脳梗塞だったこと、軽微だったので血栓を溶かす薬の投与を受けて治ったこと、ただリハビリやコロナの影響で1ヶ月以上入院したことなどを語ったあとで、思い出話を聞かせてくれた。

「Tは級長で、私と一緒に学級新聞を作ることになった。昭和21年だからまだ紙が不足していたが、私はおやじの商売の関係で家にたくさん紙があったから、Tに命じられるまま紙の束を抱えてTの自宅に持っていった」

「頭がいい人だった。持久走も得意だった。おにごっこで鬼になったら、逃げる相手をどこまでも追いかけて捕まえていた」

「1年上の○○さんとよくケンカした」

 昭和22年、つまり学級新聞をMさんと作った翌年、伯父は学校行事中の事故で急死している。私の父はまだ幼かったので、兄のことは「勉強ができた」という印象でしか覚えていないらしい。伯父と同世代の親戚はもちろんすべて他界しており、74年前に生きていた伯父のことを知っている人は、おそらくMさんだけだ。

 人には二段階の死があるとどこかで聞いたことがある。まず、本人の命が消える死。そして、その人を覚えている人がいなくなる死だ。伯父は私の祖父から会社と財産を引き継いで、頭の良さを生かして商売で成功することも、結婚して家族をなすこともなかったが、一人でも記憶に刻んでくれた人がいるかぎり完全に死んだことにはならないのだとすれば、まだ第2の死は迎えていないことになる。

 Mさんは入院中、有り余る時間のなかで伯父のことをよく思い出したとも話してくれた。元気になったとはいえ、Mさんも人生の最終段階に入った。いまも少年の姿のままの伯父は、どこかでこの世との2回目の別れを覚悟しているかもしれない。

呼叫

 電車通勤しながらの文字入力に最も適した方法とは何だろうか。方法を選ぶ以前に、これだけスマホが普及してしまうと、フリック入力以外の答えは非現実的なのだろうが、ひょっとしてケータイのポケベル入力なのではないかと考えた。

 スマホは基本的に片手入力に向いていない。ミスタッチも多い。物理キーのあるガラケーなら、多少のミスタッチは不可避だが、スマホほどイライラすることはないはず。最後に使った縦長のガラケーをまだ捨てていなかったので、使ってみることにした。

 ところが、家のどこを探しても充電器が見つからない。この機種を使っていた最後のころは、USB電源と、百均で買った充電ケーブルを使っていた。再度購入するため百均に行ってみたが、なんと百均の売り場にはガラケー用品が一つもなかった。私の周囲にはまだガラケーを使っている人が、母、同僚のうち2人、知人のうち1人などけっこう残っているのだが、ダイソーはすっかりこの市場を切り捨ててしまったようだ。

 そこでダイソーの近くにある中古品店に行き、客の姿もまばらな奥の方のジャンク品売り場に行ってみたら、カゴの底の方にACアダプタがあった。税抜き100円。買って帰った。

 充電が終わったあとで使ってガラケーを使ってみると、もちろんキーボード入力にはかなわないが、フリック入力よりもミスタッチが少ない分、高速で入力できそう。「ま」「や」「ら」行辺りは心もとないが、それよりも上はほぼブラインドタッチで入力できる。ただ、まだ慣れているとは言い難い状態なので、頭の中では文章内容を考えている部分よりも、文字入力に懸命になっている部分のほうが大きいような気がする。慣れればキーボード同様、何も考えなくても指先が動くようになるはずだ。

 実は、私はポケベル入力の存在をケータイを入手してからしばらく知らなかった。一台目、二台目の機種ではまったく使ったことがなく、暇なときに三代目をいじくりまわしていて、入力方法を設定できることに気が付いた。それまでは「あ」を5回押して「お」を出すトグル入力がまどろっこしくて、ケータイでメールなどの文章を打つことがほとんどなかった。

 ポケベル入力が快適だったので、これからはケータイでもメールや私的な文章を打とうと思っていたのだが、乗り換えた4台目には意外にもポケベル入力がなかった。5台目も同じ。スマホ登場までは時間差があるはずなのだが、日本人がすっかりトグル入力に慣れてしまったためなのか、成熟期のガラケーにはほとんどポケベル入力が搭載されていないようだ。

 久しぶりに使っている3台目ガラケーは、液晶画面がやや小さいなどの不満がある。このため、中古品屋で2000~3000円のガラケーを物色しては、ネットで取説をダウンロードしてポケベル入力(またはツータッチ入力)ができるかどうか調べているのだが、いまも中古品が店頭で出回っているような機種は京セラの低価格機種が中心で、コスト的に厳しかったのかポケベル入力は入っていない。

 ガラケー需要はじきに消滅するのだろうが、ガラケーのような形状、ボタンを備えた入力専用デバイスへの需要はある程度あるのではないか。電車内で片手につり革(またはカバン)、片手でこのデバイスを使って入力したほうが、両手が基本のスマホよりも使いやすいはずだ。

 しばらくは、角の塗装が剥げた3台目ガラケーを使ってポケベル入力を練習しようと思うが、同時に、すぐ飽きるのもわかっている。書く内容がそんなにはないし、そもそも地方都市に暮らす私には電車で通勤する機会がない。

帯起

 全国300万人の文字起こし労働者の皆さん、こんばんは。

 会議や打ち合わせという要素を仕事に含む人なら、文字起こしをしなければならないことが月に1〜2度、少なくとも2〜3年に一度はあるのではないか。AIで音声を流し込めば自動的に文字にしてくれるソフトも売っているらしいが、残念ながら試したことがなく、弊社では依然として人力で文字起こしをしている。

 作業の効率を左右するのが、文字起こしに特化した音声再生/停止ソフト。たとえば音声ファイルに「訴えてやる」という言葉が記録されているとして、ワードなどで「訴えて」まで入力したとき、「訴えるからな」だったか「訴えてやる」だったか「訴えるざんす」だったか自信がなくなったとしよう。キーボードから指を放し、マウスでワードの背後に隠れている再生ソフトを表に出し、少し巻き戻しして再び再生、といった動作ではあまりに効率が悪い。ワードを操作しながら、単純なキー操作で少し巻き戻しできる文字起こしソフトがあれば虫酸が走るほど嫌いな聞き起こし仕事の際、虫酸の分泌量が若干減る。

 Windows用にはこうした機能を備えた便利なソフトがたくさんある。私はソニーのICレコーダーについてきたソフトを使っている。不要な機能がたくさんくっついて起動が遅いのが難点だが、まあいいやと思って使っている。

 ところが、数年前に買った非力(だが電池長持ち)ノートパソコンがいよいよ古くなり、代替機として「起動が速い」と宣伝していたChromebookを購入した。数少ない不満の一つが、文字起こしソフトがないということ。Chromebook用のアプリを作る能力はまったくないので、数あるHTML5開設ページを参考に、文字起こし用のホームページを作ることにした。つまりHTMLファイルにjavascriptでいろいろ書いて、書き起こしに必要な最低限の機能を盛り込んだのである。

 準備と使用の方法は以下の通り。以下の内容をコピペして、どこかのフォルダに(例えば)”文字起こし.html”という名前で保存する。同じフォルダに文字起こしの対象となる音声ファイルを置く。次に”文字起こし.html”をブラウザで開く。ホームページの中で「ファイルを選択」ボタンをクリックしてファイル名を指定したら、ctrl+Pで再生開始、ctrl+Uで一時停止、ctrl+左矢印キーで5秒巻き戻し、ctrl+右矢印キーで5秒先送りができる。

 Windows用の便利な文字起こしソフトと異なり、他のアプリを使用しながらバックグラウンドでキー動作を監視するような機能はない。文字入力や修正は下の入力ボックスで行う。文字を入力しおわったら、手動で他の文字処理ソフトなどにコピペする必要がある。コピペせずにブラウザを閉じたら作業が無駄になる。

 内容は私でも書けるような簡単なものなので、キーの割り当てや巻き戻し/早送りの秒数変更はHTML内部の数字を変更すればできる。

——以下がHTMLのソースである。ーーーー

<html>
<head>
<meta charset="UTF-8">
<title>文字起こし</title>
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<style type="text/css"><!--
    .myform { font-size:16pt; }
    footer{ text-align:right; font-size:12px; }
    #btn_play{ width:100px; height:40px; padding:10px; font-size:18px; }
    #btn_rwd{ width:100px; height:40px; padding:10px; font-size:18px; }
    #btn_ff{ width:100px; height:40px; padding:10px; font-size:18px; }
--></style>

http://www.openjs.com/scripts/events/keyboard_shortcuts/shortcut.js

</head>
<body>

<!-- 音声ファイル -->
<audio id="bgm1" loop controls src="dummy.MP3" type="audio/mp3">
</audio>

&nbsp;&nbsp;&nbsp;


<!-- 再生ボタン -->
<button id="btn_rwd" type="button"><i class="fas fa-angle-double-left"></i></button>
<button id="btn_play" type="button"><i class="fas fa-play"></i></button>
<button id="btn_ff" type="button"><i class="fas fa-angle-double-right"></i></button>

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<script>

  const bgm1 = document.querySelector("#bgm1");       // <audio>
  const btn_rwd = document.querySelector("#btn_rwd");   // <button>
  const btn_play  = document.querySelector("#btn_play");   // <button>
  const btn_ff = document.querySelector("#btn_ff");   // <button>


  function soundChange(newFile){
    var $newFile = document.getElementById("sound_file");
    var $elementReference = document.getElementById( "bgm1" );
    $elementReference.src = $newFile.value.replace(/C:\\fakepath\\/g ,"");
  }

  btn_play.addEventListener("click", ()=>{
    // pausedがtrue=>停止, false=>再生中
    if( ! bgm1.paused ){
      btn_play.innerHTML = '<i class="fas fa-play"></i>';  // 「再生ボタン」に切り替え
      bgm1.pause();
    }
    else{
      btn_play.innerHTML = '<i class="fas fa-pause"></i>';  // 「一時停止ボタン」に切り替え
      bgm1.play();
    }
  });

  /**
   * [event] 再生終了時に実行
   */
   bgm1.addEventListener("ended", ()=>{
    bgm1.currentTime = 0;
    btn.innerHTML = '<i class="fas fa-play"></i>';  // 「再生ボタン」に変更
  });


  btn_ff.addEventListener("click", ()=>{
    bgm1.currentTime += 5.0;   });

  btn_rwd.addEventListener("click", ()=>{
    bgm1.currentTime -= 5.0;   });


shortcut.add("Ctrl+P",function() {
  bgm1.play();
  btn_play.innerHTML = '<i class="fas fa-pause"></i>';  // 「一時停止ボタン」に切り替え
});

shortcut.add("Ctrl+U",function() {
  bgm1.pause();
  btn_play.innerHTML = '<i class="fas fa-play"></i>';  // 「再生ボタン」に切り替え
});

shortcut.add("Ctrl+Right",function() { //ctrl + 右なら5秒進める
    bgm1.currentTime += 5.0; 
});

shortcut.add("Ctrl+Left",function() { //ctrl + 左なら3秒戻す
    bgm1.currentTime -= 5.0; 
});


//}

</script>


<input id="sound_file" type="file" onchange="soundChange()"/>
<br>
<br>
<form>
<textarea class="myform" rows="30" cols="72">ここに入力 編集が終わったらエディタなどにコピペしてください</textarea>
</form>

<p>注意 1.再生できる音声のファイル形式はmp3です。 2.音声ファイルはこのhtmlファイルと同じフォルダに置きます。<br>
3.ブラウザを閉じると編集中のテキストも消えます。エディタなどにコピペして保存してください。
</body>
</html>

美術

 ある祝宴に出席した。主役の人物と同じ円卓に、見覚えのある60歳から70歳の男が座っていた。短く刈り上げられた頭と太い首。言葉をかわさずとも空気を通して伝わってくるでかい態度。少し考えて、それが中学時代の美術の教師であることを思い出した。

 祝宴の主役はその中学校の校区で医療期間を長く経営しているから、何らかの縁で 知り合いになったのであろう。主役のすぐそばに席を与えられていることが、二人の密接な関係を物語っていた。私がこの人物を目にするのは中学校を卒業して以来35年ぶりだ。

 こういう機会があれば、私は決まってそばに歩み寄り、コップにビールを注ぎながら挨拶することにしている。この時もいったんは立ち上がりその人物の方に向かって2、3歩進んだのだが足が止まった。この教師の行いを思い出したからである。

 中学2年の時、クラスに登校拒否をしている男子生徒がいた。著しい肥満体で、おそらく体重が100キロくらいはあったのではないか。ここでは名前をHとしておく。私は特に仲がいいというわけではなかったが、たしか私が学級委員を務めていたために、クラス担任の体育教師に「お前が毎朝迎えに行って、学校に来るよう促してくれ」と言われた。全く乗り気ではなかったのだが、仕方なく、比較的仲の良かった数人とHの家に行くようになった。毎朝その生徒が住んでいるアパートの入り口の前に立ちドアを開けて、2階に向かって「H君、学校行こう」と呼びかけた。しかし、Hは部屋から出て私たちに顔を見せることさえほとんどなかった。いままでまったく思いが至らなかったのだが、Hの立場からすれば、近所にも聞こえるような大声で名前を呼ばれ、学校に行っていないことを宣伝されるのは一種の拷問ではなかったか。

 ほとんどの場合、Hは学校に行こうという呼びかけを拒否し、そのうち時間切れになって私たちはHを連れずに登校したわけだが、二度だけ何かの拍子でHの態度が軟化し、学校に出てくれることがあった。

 ところが、Hを再び登校拒否状態へと追いやったのが、冒頭で紹介した美術の教師だった。久しぶりに教室の後ろの方の席にHが座っているのを見つけると、「お、デブ、今日は来てるのか」とからかい、その隣にもまた肥満型の女子生徒が座っていたことから「そこは左右でデブか。デブデブ村だな」とあざ笑った。

 翌日からまた、Hは休眠状態に入った。一度だけ、担任が私たちと一緒に行き、一人で階段を登っていき、部屋の仲からビンタの音が2~3発聞こえて、数分後にHと担任が一緒に降りてきて、その日は一緒に登校したことがある。それでも、Hが登校した学校で感じる孤独はどうにもならなかったのだろう。結局卒業するまでHを見かけることはほとんどなかった。

 美術の教師は授業中に冗談ばかり言っていたから人気があった。同時にコワモテのイチ面もあり、校内暴力が吹き荒れた中学校では、おとなしい教師が御しきれない不良生徒に対する窓口みたいな役割も担っていた。しかし、Hをめぐる経緯があったために、私の仲にはその美術教師に対する不信感が残った。

 祝宴で久しぶりに見かけたその教師に、35年前のできごとについて「なんであんなことしたんですか」と聞くのはやめた。そんなことをしても意味がない。が、H本人が追求すれば意味はある。そのためだけにも、Hには中学卒業後、社会で活躍していてほしいと願っている。

現在

 加山雄三という人がいる。私が生まれたころから現在に至るまで、ほぼ第一線で活躍し続けている人だ。昨年は体調を崩したとのニュースもあったが、同年代の人はどんどん鬼籍に入っているのだから、とても元気な部類に入るのだろう。

 私が子供のころには、女子高生ドラマの担任役、最後に犯人を殺して終わるタイプの警察ドラマに出ていた。なぜか若大将シリーズの映画はテレビで見る機会が少なく、テレビドラマに出ている加山雄三について、そこそこ芸能通である母が「この人は借金を抱えて大変で」と私にエピソードを教えてくれたものだった。

 私の中ではいま、加山雄三については、黒沢映画に出てくる好青年、そして「旅人」など美しい旋律を書ける優れたソングライターとの印象が強いのだが、よく頭の中で流れる別の曲がある。サントリービールの本人出演のCMに使われていた曲だ。ヨットに加山と友人たちが乗っていて、最後は「オーオ、サントリー ビールー」でしめくくる。70年代の特定の期間、集中的に流れていた他のCMソングと同様、この歌も私の脳に焼き付いていたが、タイトルがわからないため配信サイトで検索できなかった。ラジオでも一度も聞いたことがない。

 さきほど改めて検索してみたところ、「今」というタイトルであることがわかった。「サントリー CM 加山雄三」でひいても、加山出演のほかのサントリービールCMが当たるのに、この曲に行きつかないのは、サントリーが全国をいくつかのエリアに分け、北海道発売時にのみ前述のCMが放映されたので、全国的には知名度が低いせいなのかもしれない。

 さて、youtube musicにこの曲があったので聞いてみると、変わった構成だった。当時のたばこのコマーシャルに使われていそうな感じの演奏に合わせて、最初の部分は私の記憶にある通りの歌を加山が歌うが(もちろん「サントリー ビールー」は商品名なので別の歌詞、メロデイで置き換えてある)、途中、約2分間の間奏はボーカルがなく、最後でまた加山の歌声が入る。

 私の頭の中に思い浮かんだ経緯はこうだ。サントリービールのCMを作ることになり、加山に出演依頼とCMソングの制作、録音依頼が来た。しかし必要なのは15秒。そこで印象的なメロディを作って前後に配置し、中間には当時流行していたフュージョンぽい曲にしてみた。といっても手抜きではなく、加山は交響曲を自作するほどの音楽「マニア」なので、趣味と実益を兼ねた創作活動だったのではないか。