氷菓

クルマを1時間ほど走らせて、人口数万人の街へ。用事を終わらせ、昼食をとるためホテル3階にある和食の店に向かった。カツ丼にしようか、天丼にしようか。しばらく前に来たことがあるのだが、値段の割においしく、ボリュームもあり、落ち着いた雰囲気も気に入っていた。ところが入口にはぶっきらぼうな張り紙。「通常営業は終了いたしました。ランチは1階の××をご利用ください」。

前回来たとき、それほど客は多くなかった。この日もホテル裏側に車を停めてから3階に行くまで、館内で見かけたのはカウンター係の若い女性一人だけ。ランチタイムのレストランを1階に集約した経営陣の判断は適切だったと、私も思う。

道内地方都市のホテルはどこも経営が苦しい。一昨年、昨年は中国・台湾の観光客が「当たり年」だったが、インバウンド需要は波が大きく、今年もやってくるかどうかはわからない。もっと規模が大きな私の街でも、ホテル経営が苦しいことを象徴するような話があった。

私の父が入院している病院に、父の友人が見舞いに来てくれた。手土産はホテルのアイスクリーム。白いパッケージと黒いパッケージの2種類。どちらかが「プレミアム」の位置付けだった。

ポイントは「ホテル」の3文字だ。いまでは贅沢な材料を使ったアイスが当たり前で、コンビニでもそれほど高くない値段で売っているが、私が子どものころ、市販のアイスはなんのコクも深みもない単純な味で、それより二つ三つも上のランクに「ホテルのアイスクリーム」だけが鎮座していた。ホテルというのは、中心街で昭和30年ごろから営業し、天皇皇后両陛下がお泊りになったこともある老舗のホテルのことである(東京の人にはわからないかもしれないが、田舎の高齢者にとり、皇室御用達の実績には80年代のクルマでいう「ツインカムターボ」くらいの威力がある)。いまや複数のホテルがこの街にあり、老舗のホテルも建て替えやリブランドを経ているが、私を含め多くの市民はここが格式がいちばん上の宿泊施設だと考えている。

そのホテルのレストランで食すことができ、売店でおみやげとして買うこともできるアイスクリームは、子どもの目から見れば唯一の「地元産ぜいたく品」だった。単価は市販のバニラアイスの4~5倍はしたのではないか。私もしばしば、父が家へのおみやげとして買ってくれたのを食べたことがある。私はそんなに冷たいデザートが好きなわけではないのだが、ホテルのアイスクリームはうまかった。その印象があまりにも強かったので、大きくなった私の子どもが帰省したさいも、しつこく「ホテルのアイス食べるか?」と尋ねずにはいられなかった。

ところが、である。父の病室でプラスチックのスプーンを使い、アイスを一口だけ口に運んで愕然とした。懐かしい味。でもこれは、私が子どものころに食べた「近所の駄菓子屋で売っていた安物のバニラアイスの味」である。ホテルのアイスは一口食べただけで、良質な卵黄をたっぷり使っているのが子どもの舌でもわかったのだが、これは安っぽい粉みたいな味しかしない。白、黒のどちらかが廉価版、どちらかがプレミアムなのかとも思ったが、どちらも同じ安物の味だった。残しては父の友人に失礼なので完食はしたが、病室内の冷蔵庫に入れた残りのアイスクリームは食べる気がしなかった。父も母もいらないといったので、買ってきてくれた人に申し訳ないと思いながら、翌日にはほとんど捨てた。

あまりの落差の大きさに、私は何かの間違いではないかと思い、数日後にそのホテルの売店に行ってみた。アイスケースの中を覗いてみたが、やはり白と黒の2種類しかなく、昔ながらのアイスは「スーパープレミアム」と名付けられて販売継続中との期待は完全に外れた。

がっかりして売店を出て、ホテルのロビーを通って外に出ようとしたら、目の前に総支配人が立っていた。「あんなの食べさせられたら古くからのファンはがっかりしますよ。もうアイスを売るのはやめたほうがいい」と言おうと思ったが、やめた。

なぜアイスがまずくなったのか、だいたいの予想はついている。

このホテルでは十年ほど前からオーナーと運営業者が何度か交代している。もともとは市内に大工場を持つ有名メーカーが、他の街から来た大切なお客様をもてなす格式の高いホテルがないのは、街の発展を妨げるとして経営に乗り出したホテルだった。以前はメーカーの子会社が直接運営していた。メーカー本体が儲かっていたから、ホテルに対する厳しい要求もなかった。

しかしバブル崩壊後にメーカーは多角的経営を見直して本業に集中。ホテルはファンドに売却された。ファンドはホテルの経営術を知らないから、東京の専門業者に運営を任せた。とはいえ、東京から来るのは総支配人など幹部1~2人だけ。地元採用の従業員、地元の業者などを使い、ファンドが投下した金額に対して一定の収益を上げることだけが、運営業者の使命となった。

目標を達成するにはどうすればいいか。売り上げを伸ばすか、利益率を高めるか。東京はともかく、地方では不況が続いているので、それは難しい。簡単なのはコストを切り詰めることだ。食材の質を下げる、従業員の賃金を下げる、必要な建物の修繕を先延ばしする…。

2年ほど前、両親と一緒にこのホテルの和食レストランで、ちょっと値段の張る料理を頼んだことがある。あまりのまずさに父は驚き、ほとんど箸をつけなかった。リブランド前を含め、約50年このホテルのレストランを利用している父は、こんなものを(結構な値段で)食べさせられる時代が来たことが信じられなかったようだ。

なぜ私が目の前に立つ総支配人に対して黙っていたかといえば、年度末で離任することが決まっているからだ。約1年前に有名企業がこのホテルを入手し、4月には新しい支配人が着任する。現総支配人はすでに商品の質を高められる立場になく、アイスクリームについての不満を伝えても悪口にしかならない。

もっとも、このホテルはまだマシなほうで、後発のライバルホテルは、同様にファンドに転売された挙句、売り上げのうちオーナーが2割、運営業者が2割を自動的に持っていくので、残り6割ですべてを賄わなければならず、現場は頭を抱えていると出入りの業者に聞いたことがある。

さて、新体制で老舗ホテルのサービス品質は新年度にどう変化するのか。「改善を求めたい」と言うのは簡単だが、そのためには単価を高めなければならない。宿泊客はともかく、結婚式、宴会やレストランを利用する地元客にそれだけの購買力があるとは思えない。新しい総支配人に会う機会がもしあれば、「誰にも気が付かれないようにこっそりと、アイスは全部投棄して、二度と売らないほうがいいですよ」とアドバイスしたい。

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