型録

中古品屋に行ったら、カー用品売場の片隅に、自動車カタログが並んでいた。最近の車種と並んで、オースター、ギャランΣなど昭和のモデルのカタログもある。値段は安いもので400円、高いもので1000円くらい。これらのカタログはガラスケースのなかに入ってはおらず、どれも手にとって立ち読みできたから、それほどレアなものではないのだろう。

子どものころ、カタログが大好きだった。これは父譲りの性向で、父は定期的にソニー系の家電卸売会社に行って業務用の新書版くらいの総合カタログをもらってきていた。私がカタログに出ているブラウン管のテレビ、コンポのアンプやカセットデッキ、ラジカセ、BCL用の短波ラジオの写真や説明文、スペックを見ながらうっとりしていたのは、その商品を手に入れた感覚だけでなく、その商品を手に入れられる生活水準を享受している大人の自分を想像していたからだと思う。ソニー商品のほか、クラウンのカタログも穴が空くほど読んだのを覚えている。結局、父は角張った4ドアのセダンか、やや流線型を帯びた4ドアのクーペを買ったのだが、私は当時クラウンに設定されていた青い2ドアのモデルが大写しになったページを開いては溜息をついていた。

兄は私や父以上のカタログ好きで、当時はこのまちの中心部にあった家電販売店に自転車で通って、ソニー製品を中心にせっせとカタログを収集していた。透明なポケット式のファイルに入れたコレクションの厚さは20センチくらいに達したと記憶している。

あれから40年。私はソニーのアンプもテレビもカセットデッキも持っていない。理由は3つある。まず、私の経済力は昭和期の父をはるかに下回っており、毎月数十万単位の金を家電製品やオーディオ機器に投じる財力がない。第二に、ソニー製品がかつてのようなカッコ良さを失ってしまった。第三に、いまはカセットデッキもアンプも短波ラジオも必要ない。かなりの機能をスマホで代用できてしまう。

もう一つ、別の理由がある。経済力が乏しいとはいえ、私もこれまでいろんなモノを購入してきたが、購入直前の心の高揚が続いたことは一度だってない。手に入れて、箱から商品を出して、電源を入れた瞬間、興奮が覚めていくのがわかる。たとえばこの1月に3万円で買ったパソコンには、3万円分の価値は充分にあるとは思うが、私の心のときめきは3万円分では済まず、4万円、5万円分まで膨らんでいた。ぼんやりと想像していた商品を実際に手にとり、指先や目で質感を確かめることで、「ああ、こんなものだったのか」との失望感が生じるのをどうすることもできないのだ。

だから、もう店からカタログは持って帰らない。掲載されている商品をウン万円で購入したところで、高揚感が覚めていくのは確実だからだ。ケータイを買う際など、複数のモデルを比較して選択しなければならないときには、店員から手渡された厚いカタログを持ち帰ることもあるが、ほとんど開かない。

現行商品、これから世に出る商品のカタログさえ興味がないのだから、昭和のクルマのカタログにお金を払う理由が理解できなかった。しかし、よく考えてみれば、これらのカタログを購入したいとの欲求の裏には、クルマが欲しいという「本体」の欲求がない。欲しくてもとうの昔に生産中止となり、いまや中古車さえほとんど市場に出回っていない。しかし、紹介されている商品ではなく、紹介しているカタログを買うだけなら、がっかり感の生じる余地はないわけだ。

当たり前の話だが、カタログは肯定的な文言であふれている。商品をさんざん持ち上げるだけでなく、その商品を購入すればこんなに幸せになれますよというライフスタイルも描いてくれる。クルマのカタログに美男美女が載っているのがその一例だ。

平成の日本に生きる私たちは、そんな生活が、少なくとも庶民の周囲には存在しないことを知っている。しかも、この先の日本はもっとひどい状況になりそうだ。昭和のカタログを購入する人は、この時代の重苦しい空気から逃れ、あの時代の「今は苦しくても将来はもっと楽しい世の中になっているはずだ」という楽観的な空気を吸っているのかもしれない。

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