僧侶

犬を散歩している途中で、道路の向こう側にあるコンビニ入口横に備え付けられた緑色の公衆電話を使って、僧侶が電話をかけているのに気がついた。

公衆電話がここにあるのは知っていた。犬の散歩の途中でコンビニに入りたくなったとき、犬のリードを結えておくのに最適だからである。公衆電話を最後に使ったのかいつなのかは思い出せない。そういえば数年前の正月休み、自分の携帯を忘れて娘とともに外出したところ、娘とはぐれたので公衆電話から連絡しようとして、娘の番号を自分の頭では記憶していないことに気付き、慌てたことがあった。

他の人が公衆電話を使っていることも、まず見かけることがない。これも数年前のことだと思うが、深夜に近所の公園の横にある電話ボックスに男が入って真剣な表情で話していることがあり、携帯を使わず公衆電話に頼っているという状況だけで、これはただならぬ事態が発生しているに違いないと想像してしまった。

そして僧侶。この僧侶は携帯電話、あるいはスマホという文明の利器を僧服の懐に入れるのをあえて拒否しているのではないか。携帯電話やスマホから、現代情報社会に反乱する猥雑な情報を取り入れることは、すなわち仏の道にそむくことに他ならないと断じたのではないか。近年の仏教寺院といえば、葬式業者の一部であり、生き方に迷った信徒を正しい方向に導くという宗教本来の役割を果たしていないようにも思えるが、案外、身近なところに仏教本来の姿を見失わない清貧かつ真摯な宗教家がいるのかもしれない、と想像を膨らませていたら、その僧侶はコンビニ駐車場に停めてあった高級セダンに近づいた。運転席に乗っていた男が慌てて降りてドアを開けると、僧侶は悠然と乗り込んだ。携帯電話は持っていないが、運転手付きの高級車は持っている僧侶だった。

公衆電話を使ったのは、単に、昨夜遅くまでネットゲームにはまってバッテリーが切れ、そのまま眠って今朝になって充電を忘れていたのに気が付いたからなのかもしれないと、私の想像力は逆方向に向けて動き出した。

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