氷点

今年の初めから、Kindleで電子本をたくさん読んでいる。最初はスマホのKindleアプリ。次に嫁さんからもらったiPadにもKindleアプリをインストールした。紙の本は目に負担を感じるようになっていたので、字の大きさを自由に調整できる電子本は非常に助かる。

もう一つの電子本の魅力は安さ。20%、30%OFFのセールをよくやっている。2〜3年前から紙の洋書を何冊か読んだのだが、同じ本が電子本だと数割安い。いつもなら電子本でも2000〜3000円しそうな技術書も百数十円で買った(まだ積ん読状態だが)。

三浦綾子の「氷点」の電子本を購入したのも、上下2巻のうち上巻が無料で公開されていたためである。「氷点」は高校生のころに図書館から借りてきたが、なんとも古くさい描写が気に入らなくて、途中で挫折してしまった。無料なら途中でやめたって構わないと、軽い気持ちでダウンロードした。

三浦綾子といえば、「塩狩峠」はもう3回ほど途中で投げ出している。これはキリスト教色が最初から押し出されている小説で、明治時代という中途半端な時代背景もあって、主人公が北海道に移り住むはるか前にあきらめてしまった。小説の内容が有名で、暴走した列車を止めるために主人公が自らの身を投げるという浮き世離れしたストーリーを知っていたことも、挫折の一因になったのかもしれない。

今回の「氷点」は、昔よりも歳をとった私に古くさい表現がむしろフィットしたのか、登場する地名や店、施設に私がよく知っているものが多く、容易に状況を想像できたためか、有償の下巻まですいすいと進んで読了した。

とはいうものの、小説をあまり読んでいないかもしれないが、この作品にはいくつかの欠陥が含まれているような気がする。このブログを読んだ数少ない人のなかから「じゃあ私も氷点を読んでみよう」と思い立つ人がいるとも思えないので、以下、ネタバレを含む。

中途半端な結末。これは別にいい。最終的にヒロインの生死がよくわからない状態で小説は終わるのだが、読む人がそれぞれ理想的な出口を頭のなかでこしらえればいいのだ。そういえば、20年ほど前に香港に出張したさい、記録的な規模の台風が香港に上陸して、空港で十数時間足止めされたことがあった。ひまをつぶすために買った中国語のメロドラマみたいな小説の結末がほぼ同じだった。ようやく飛行機が離陸するというタイミングでうきうきした心で読んだクライマックスだったので、その小説への印象は悪くない。これが、氷点の結末への評価に影響しているのかもしれない。

納得できないのは、殺人者の娘というヒロイン・陽子が背負っていた重い宿命が、最後の最後に嘘だったというヘンなたねあかしが行われるということだ。そのたねあかしが、とってつけたような不自然なかたちで行われるのも気に入らない。陽子をはじめ、ほとんどの登場人物の人生を狂わせた設定が、「みんな勘違いしてました♪チャンチャン」で済まされていいのか。人生を狂わされた登場人物たちが作品の中から作者にイスをぶんなげたっていいくらいだ。

この小説が朝日新聞の懸賞で1位となり、三浦綾子が当時としては巨額の1000万円を得たのは50年前の話だが、発表直後もこのたねあかしには「おいおい」と呆れた読者がいたのではないか。これでは「夢落ち」と大した変わらない。

小説のヒロインは表向き、陽子ということになると思うが、この小説を引っ張るのは最初から最後までわがままな継母の夏江だ。夫のいる身でありながら若き医師に心をときめかせる夏江。娘の命を奪われ嘆き悲しむ夏江。こりずに再び若き医師に心をときめかせ、体をゆだねるまであと少しの夏江、愛しい養女・陽子が本当の娘の命を奪った男の娘であると知り、一転して陽子をいびり始める夏江。陽子の恋人になりそうな男に色目を使う夏江。あの手この手で陽子をじゃまをしようと悪知恵を働かせる夏江……。陽子が自殺を決意したのも、夏江から自分の本当の父について知らされたからだった。

ここまで立派な悪役の陽子には、相応の結末が必要だ。死にそうな陽子を見て自分のしでかしたことの重大さを思い知って半狂乱になるとか、「ぜんぶおまえが悪いのだ」と夫や息子に糾弾され、ショックで意識がもうろうとするなかあてのないまま夜の森を歩いているうちにヒグマに食われるとか、悪役にふさわしい最後を用意してあげてほしかったが、小説の結末ではただおろおろするだけ。「最後の最後で作者が自分への関心を失うのを感じた夏江は、『本当の主役は私。この座は誰にも渡さないわ』と絶叫したくてたまらなかった」との一文を付け加えたかったのではないか。

これは不満ではないのだが、この小説は高校生にも読むことが推奨されているはずであり、私が17、18のときに「氷点」を読んだら、陽子の兄に感情移入したのではないだろうか。死んでしまった本当の妹に代わり、もらわれてきた新しい妹。大きくなるにつれてどんどん美しくなる。できることならこの妹と結ばれたい。しかし世間も両親もそれを許してくれない……。私は兄しかいないからいいが、姉や妹がいる少年、とくに美人の妹がいる少年がこんな小説を多感な時期に読んだら、どうかしちゃうと思う。

ひょっとすると高校生の感想文コンクールでは、「僕にも美人の妹がいます。ああ、なぜうちは血がつながっているのだろうと、両親を恨まずにはいられません」と、歪んだ感想を5Bくらいの鉛筆で、ものすごい筆圧でしたためて提出する男子高校生が毎年いるのかもしれない。

いくつか不満はあるのだが、このように長々と感想を書いているということは、強く印象に残る作品ではあった。Kindleでこれまでにかなりの本を読み、それなりにおもしろいものもあったが、まとまったかたちで感想を記すのはこれが初めてだ。上巻0円+下巻540円の価値があったかといえば、間違いなくあった。

ものをよく知らない私は、原罪とか信仰とかにまつわる小説を書いている三浦綾子の作品は大衆小説よりもワンランク上という漠然とした印象があったのだが、氷点に限っていえば殺人、浮気、嫉妬、いびり、近親相姦といった人間のどろどろとした要素を盛り込んだ人間臭い作品であった。一度、名古屋圏のテレビ局が昼ドラ化して、夏江が息子と同じ年齢の青年を誘惑するシーンなどをどぎつく描写すれば、宗教臭さを感じて食わず嫌いしている人たちにもこの作品の魅力を知ってもらえるのではないか。

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