解剖

私にとり最も恐ろしい言葉を挙げるとすれば、「悪霊」でも「呪い」でもなく、断然「人体解剖」である。小学生のころ、お祭りの縁日を家族と訪れたところ、近くの銭湯の壁に映画のポスターが貼ってあり、そこに「人体解剖」と書いてあった。たしか女性の上半身の裸体のイラスト。一部、メスが入って内臓が見えていた。医師らしき男の写真が傍らに配置されていたかもしれない。

この話には前段があって、当時、父が懇意にしていた医師の家を私たち家族が訪れたところ、本棚に医大生時代に撮った写真を集めたアルバムがあった。そのなかに解剖実習中の写真も含まれていた。私は到底直視することができなかったが、「ほらー、ここ開いてるんだよ」などとその家の子どもたちがはしゃぐので、私の頭の中におどろおどろしい解剖のイメージが形成された。

その直後に見た映画のポスターだったので、こんなのを映画館に観に行ったら恐怖で失禁してしまうのではないかと思った。幸い、私の家族に恐怖映画のファンはいないので、映画館に観に行く機会はなく、もちろんこんな映画がテレビで放映されるわけもなく、私は徐々にこの映画のポスターのことを忘れていったのだが、頭のどこかに70年代という時代の雰囲気とともに「人体解剖」のポスターの印象が強く残った。

最近、社会的な注目を集めた猟奇的な事件で「解剖」がキーワードになったので、そういえばあの映画を今観ることは可能なのだろうかと疑問に感じて、問題の4文字を検索してみたところ、意外な情報にたどりついた。恐怖、グロテスクといった成分は含んでいるものの、どうも私が想像した内容とはかなり開きのある映画のようなのだ。

以下、http://movie.walkerplus.com/mv12481/ からの転載

人間解剖
1975年6月21日(土)公開

日常生活の中で、突然襲ってくる災害。交通事故、火災、爆破事件、飛行機事故。文明が発達すればするほど、その災害のスケールも被害も大きくなるが、人々は自分だけはそんな目にあわないと盲目的に信じている。死と対面する人々の様様なケース、“生と死”というテーマにとりつかれた新聞記者の眼を通して描くドキュメンタリー。脚本・監督はファン・ローガン、撮影はフェルナンド・アリバスが各々担当。

戦禍に荒れたベトナムのある村。廃屋の中で傷ついた少女が息を引きとった。戦争はいたいけな何の罪もない子供たちの生命を奪い、あるいは傷つける。ここを訪れた記者は、ナパーム弾で皮膚をこがした子供たちにカメラを向けながら激しい怒りをおさえることが出来なかった。/その彼も、ベトコンの襲撃にあい負傷した。辛じて助かり、久しぶりに我家に帰った。見舞いに来た友人のカメラマンに、彼は自分の念顔である“死に関するレポート”の最後の章である“人体解剖”の写真を撮ってくれるよう頼み込んだ。生物学者のデ・ラ・フォンテ教授に会った。教授は生命誕生の神秘を知る必要を説いて妊娠と胎児の成長、出産という厳粛な事実を披露してくれる。記者はさらにある病院を訪ね、最終目的である人体解剖の撮影取材を申し入れた。そのとき、もとサッカーの選手がかつぎ込まれ、急死した。遺言によって解剖されることになり、記者とカメラマンは立ちあうことになった。/眼をそむけたくなるような気持に何度も襲われながらも、とにかく一部始終を見つめた記者はフラフラになって部屋を出た。あまりのショックに口をきくことが出来ず“死”のむなしさを痛感した。同時に生きていることの素晴らしさが心の底からこみあげてきた。

グロテスクな要素は含んでいるものの、どうも予想していた内容はかなり違う。「ベトナム戦争」あたりから社会派、「生きていることの素晴らしさ」からは人間賛歌のにおいが漂う。私は、約1時間半にわたってカメラの前で解剖が行われるのを、音楽もセリフもなく、「脾臓」「脳下垂体」などの字幕だけで解剖の進行状況を淡々と伝える(淡々と、だからこそ怖いのだが)ドキュメンタリー風の作品を予想していたが、そういうものではなかったらしい。

思い出したことがある。スピルバーグの映画「ジョーズ」がアメリカでヒットして、日本でも上映に向けて大々的にテレビで宣伝した。お化けとか内臓とかは嫌いだが、パニック映画は好きだった(考えてみればジョーズにもかなりグロテスクなシーンが出てくるが)私は、兄とともに映画館に連れてってと父にせがんだ。しかし上映は東京でもかなり先のこと。私たちが住む田舎町の映画館で上映されるのがいつなのかわからない。

そんなある日、夕刊のテレビ欄の下に、洋画の広告がデカデカと掲載された。題名は忘れてしまったが、たしかナントカ・シャーク。広告にはサメの写真がふんだんに並べられ、サメの恐ろしさ、ジョーズとの関連を連想させる文句がびっしりと書いてあった。ジョーズの上映まで待てない私たち兄弟は、父にせがんでこの映画を観に連れて行ってもらった。

しかし、上映が始まってもなかなか肝心のサメが出てこない。本家のジョーズのように、影やら水面上に突き出したヒレやらで恐怖感を募らせる演出ではなく、南の宝探しをしている男たちが仲間割れしたり、紅一点の女が全裸で泳ぎだしたりで、いつまで経っても恐ろしい人喰いザメが出てこないのだ。これはどう考えても新聞広告が宣伝していたようなサメ映画ではないということが、子供の目にも明白となった。

そうこうしているうちに一瞬だけサメが出てきた。仲間割れから殺人事件が起きて、遺体が海に投げ込まれると、すぐにサメが寄ってきて食いちぎる。数秒後、スクリーンには他の場面が映し出され、再びサメとなんら関係のないあらすじが続いた。結局、30分から40分が経過した時点で、あきれた父は私と兄を連れて家に帰った。

以上の経緯は記憶の糸をたどりながら書いているので、間違っているところもあると思うが、冒頭で流れてきた「マネー、マネー、オウ、マネー」という、パニック映画ならありえない呑気な主題歌はいまでもよく覚えていている。原題もたしか”Money, Money, Money”。当時、Moneyが金を意味することを知ったばかりだったので、タイトルがスクリーンに大きく映し出された瞬間に浮かんだ「ひょっとしてこれは、サメの映画ではないかもしれない」という不吉な予感も、かすかに記憶の隅に残っている。

当時の映画界では、このような便乗商法が横行していたのだろう。「人体解剖」が何に便乗したのかはよくわからないが、ベトナム戦争、生きることの素晴らしさといった要素を一切排除したポスターを見て、解剖シーンだけで構成されるドキュメンタリー作品を期待して映画館に足を運び、”Money, Money, Money”に私たちが感じたのと同じくらい失望した人もいたのではないか。

ただ、「人体解剖」のポスターが怖くて怖くて、2日目に同じ場所を通ったときには直視できなかった私は、その映画に怖くない要素も多分に含まれていたことがわかったいま、「お化け屋敷のお化けは、アルバイトのお兄さんが扮しているだけなんだよ」と告げられたかのような安堵を覚えている。

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