接客

「私はよく話しかけられる方なんですよ」

先日会った取引先の社長が言う。以前、販売の応援要員として訪れたデパートでは、他にも大勢スタッフがいるにも関わらず、客が次々とその社長だけに「トイレはどこ?」「○○はどこで売ってるの?」などと尋ねるので仕事にならず、店長に何しにきてるんだとバックヤードで叱られたと思い出話を語る表情は、目が大きくて丸く、口角も跳ね上がり、赤の他人にとってこういう顔が話しかけやすいのかと思いながら、私は相槌を打っていた。仕事でないときも、すぐに初対面の人と打ち解けて人間関係が広がり、むしろ広がりすぎて困るというようなことを言っていた。

私はそういうことがほとんどない。このまちに住んでから約10年。昼食時、1ヶ月か2ヶ月に一度のペースで行く定食屋、そば屋、洋食屋、カレー屋、和食の店などがあるが、余計な話は一切しない。

たとえば会社から車で5分の古い定食屋。入店したらすぐカウンター席へ。メニューは一応見るが私にとっての選択肢は4種類しかない。店員のお姉ちゃん(考えてみれば最初にここに来た時は20代中ごろ。サスペンスドラマなら恋人を殺したと濡れ衣を着せられる陶芸作家アシスタントの役の人だったのが、いつの間にか10年が流れて、陶芸作家が横恋慕がかなわず人を殺めてしまったことを暴く凄腕女検察官が似合う30代半ばとなっていた)が水とおしぼりを持ってくる。

「カキフライ定食。ライス少なめ」

「カキフライ定食。ライス少なめですね」

あとは視線を手元の本やスマホに落とし、黙って食べる。客が多いので食べ終わった後も長々と居座るようなことはしない。レジに向かい600円を払う。「ごちそうさま」と言ったら足早に駐車場へ。

違うんだ。私も、その日カウンターで私の隣の隣の席について、運動会やら長期出張やらで疲れがたまっていることを愚痴っていた近所の工場から来たと思われる作業着姿の男のように、個人的なことを聞かれたり話したりしたいのだ……と、駐車場から車を出すころにいつも思うのだが、切り出すきっかけがつかめない。その店員に「カキフライ定食。ライス少なめ。あと、個人的なことを聞いたりしてください」と注文したところで、女性の店員を困惑させるだけであり、店の奥から店の親父が出てくるだろう。

というようなことを思いつつその店に通っていたのだが、たしか昨年の秋ごろ、注文したカキフライ定食(ライス半分)を運んできたその店員が「先週の日曜日、○○デパートの地下にいましたよね」と話しかけてきた。10年に一度のできごとに私はすっかりまごついてしまい、「ええ、まあ」と答えるのが精一杯で、会話はまったく続かなかった。笑顔さえ浮かべていなかったのではないかと思う。この店員が密かに記入している「顧客別接客のポイントメモ」には、私の項目が新たに付け加えられ、「必要最小限のコミュニケーションで十分」と殴り書きされて、真っ赤なダーマトグラフで下線が引かれたに違いない。次に親しく話しかけてくれるのは恐らく10年後。ドラマでは東京地検特捜部長くらいまで出世しているころだろう。

ところが、こんな私もいくつか例外がある。このまちで道を聞かれることはあまりないのだが、全身から発散しているマイケル・ホイ似オーラが作用してか、一時期、定期的に訪れていた香港ではやたら話しかけられた。残念ながら広東語が理解できないので、相手が何を言っているのかはわからないが、道を尋ねられていることだけはわかる。観光客が行かない工業団地のような場所に迷い込んでしまい、歩道を歩いていたら大型トラックがブレーキ音を鳴らして私の隣で停まり、運転手がウィンドウを下ろしてけたたましく私に道を尋ねたこともあった。

このマイケル・ホイ似オーラは日本人には何ら作用しないことから、国内では話しかけられることもないわけだが、実は会社から車で10ほどの場所にある洋食屋の主人とは、一種のコミュニケーションがとれている。数年前に行ったとき、付け合せのサラダに些細な問題があった。私はその店の料理が大好きで、ほとんど気にならなかったのだが、一応、店員を通じて店の主人には知らせておいたほうが良いと思った。主人がすぐ小走りでやってきて、あやまった。私は周囲の客に知られないよう小声で、いやいいんですと笑った。

それがきっかけで覚えてもらったのだと思うが、それからその洋食店に行くと、厨房内で忙しく働いている、私とおそらくはほぼ同じ年齢の主人が、目が合ったときには「いつもどうも」と会釈してくれるようになった。そして、これは極めて重要なポイントのだが、その主人が会釈をするのは私だけだ。他の客にももちろん、声で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は言うが、視線は手元の料理から動かさない。

住宅地からはやや離れたところにあるその洋食屋は、いつも繁盛している。料理はうまく、量も多く、味は薄いのにいい意味で印象に残る。値段はリーズナブル。満席で20~30分、入り口に並んだ椅子で待たされることもあるが、私が1~2ヵ月に一度通い続けているのは、ひとつには「特別待遇感覚」が理由かもしれない。

実は、昨日、嫁と一緒にその洋食屋に行くと、私よりも少しあとでやってきた老夫婦の客に、店の主が「あらあら、いらっしゃい。お元気でしたか」と話しかけていた。あの話しぶりは、もともとの知り合いか親戚に違いない。多少他人行儀とはいえ、実の親子かもしれない。「ノーカウント」と強引に宣言して、私は独占状態をまだキープしている。

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