印象

道立近代美術館で「栗谷川健一展」を観た。

戦後、北海道の観光ポスターを中心に、主にポスターの原画の分野で成功した人らしい。私は、美術館のホームページで初めて名前を知った。ポスターの前には映画館の看板を描いていた人で、有名になってからは札幌オリンピックのポスターも手掛けたという。

会場の中に、女性の横顔を中心に据えた1枚があった。構図も色合いも単純化されていて、本当なら無数の線で構成されるはずの頭髪が、鮮やかな複数の図形を組み合わせて表現されている。皮膚はなだらかなグラデーション。どこかで見たことがあると思ったら、パソコンでイラストレーターを起動するとき、昔のバージョンはこんなタッチの画面とともに始まった。このポスターの原画が描かれた1960年代にはすべて手作業であり、イラストレータの作画ほど正確ではないのだが、むしろ微妙な誤差やゆらぎがこの時代に生きる私にとっては心地よい。「阿寒」「北海道」などの文字も、手作業で明朝体風に描かれており、これも一昔前の週刊誌の見出しのような味がある。

ポスターはそういうものなのだろうが、北海道や道内各観光地のイメージが単純化、浄化されて描かれている。阿寒湖の宣伝ポスターは、上から湖面を見下ろすようなアングルで、中央には丸木舟、その中にアイヌの女性が乗っている。南太平洋へのツアー旅行を募集するために航空会社が写真で同じ構図の宣材写真を作りそうだ。

いまのようにテレビで毎週いくつもの旅番組を放送しているわけでも、ブロガーがおもしろおかしく旅行ブログを公開しているわけでもない昭和30年代や40年代、みどりの窓口や駅の通路でこのポスターを見かけた本州の人は、ポスターの単純化されたイメージを通じて、まだ訪れたことのない北海道に強くあこがれたのではないか。しかし、当時の北海道の農村の暮らしはそんなに生易しいものではなかったと思う。大半の人は貧しく、東京や大阪から金を落としに来てくれる観光客をもてなすことはあっても、道民、とくに近所の住民がポスターに描かれている美しい観光地を訪れることはほとんどなかったはずだ。

実は私も、当時の北海道の田舎の状態がどうなったのかはよく知らない。地方都市に育った私には、農村で牛や羊、豚の世話をしたことも、畑で土にまみれた経験もない。ただ、私には、農作業が観光ポスターに描かれているほど気楽なものではないという確信がある。

小学校5年生か6年生のころ、農協の招待で、私たちの学校の同じ学年の全クラスが、酪農関連施設の見学に出かけた。訪れたのは牛舎、牧草地、バター工場。このうち牛舎の前だったと思うが、児童から酪農家に質問する機会があった。どんな内容の質問に対する答えだったのかは覚えていないのだが、酪農家のおじさんは、朝早くから夜まで働き、休日もなく、この仕事は大変だというような説明のあとでこう言った。

「よく、牛たちに囲まれて若い兄ちゃんがギターを弾いているようなシーンがあるけど、あんなのは映画の中だけだから」

その時、私にはよくわからなかったのだが、のちに週末の午後のテレビで日活ウェスタンの映画を見て、あのおじさんはこういう映画のことを言っていたのかとわかった。たしかに小林旭は床にこびりついた糞尿と格闘したりはしないし、スクリーンから臭いも伝わってはこない。

というようなことを考えながら場内をゆっくりとめぐっていたら、牧場でギターを弾いている男を描いたポスターがあって、笑ってしまった。

いま、こういう図柄のポスターを絵や写真で作って、新宿駅の通路あたりに貼っても、北海道への観光客誘致には役立つとは思えない。そんなに美しくて、純粋で、みんなが幸せな地方など日本のどこにもないと、みんな知っている。だからこそ、中国の「桃源郷」の話のように、北海道のイメージのごく一面を増幅し、純粋にしたポスターには魅力があった。北海道でないのはたしかだが、こんな国、こんな時代がどこかにあるのなら行ってみたい。

美術館の近くで食べたステーキ。けっこう高かった。

美術館の近くで食べたステーキ。けっこう高かった。

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