唐草

東京から遠く離れた地方都市に住んでいると、全国的な有名人と会う機会は滅多になく、有名人と知り合いという人にもほんどお目にかからない。それだけに取引先や知人との会話のなかに突然、有名人が登場すると驚かされる。

商談を終えたあとの雑談で、相手の50代女性が思い出話を始めた。

「私、若いころにお付き合いしていた人がケンカっ早い人で、ある日二人で散歩していたらヤクザと肩がぶつかってトラブルになったんですよ。それから治療費よこせと脅されて、ほとほと困って、父の友だちだった東京ぼん太さんに仲介役になってもらって、やっと解決したんです」

意外な名前に、私は思わず「いま何て言いました」と聞き直した。

私は昭和40年代のお笑いファンというわけではないけれど、東京ぼん太が、私に物心がつく少し前に人気芸人だったことは知っている。高校の同級生がたけしのオールナイトニッポンで取り上げられた東京ぼん太を翌朝学校で話題にしていた。それ以降、この人物については聞いたことも考えたこともなかった。空白期間が長かったからこそ、商談で毎月会っている人の口から突然出てきた「東京ぼん太」はインパクトが大きかった。

昨日も、毎年この時期に仕事で会っている人と、昭和40年代から50年代にかけて活躍していた人物の関係を知った。

「若いころ、おれはバンドマンだったんだよ。高校の1年先輩がダン池田でね。よく米軍の将校クラブで演奏した。あいつは才能があったよ。打楽器なら何でも来い。リズム感が人並み外れていたから、モールス信号叩かせたら、通信兵経験者より上手かったよ」

リズム感とモールス信号の間に関連があるのかどうかはともかく、その人は予定よりも1時間ほど長く私の会社に滞在して、「毎年秋に池田がニューブリード(バンド)のメンバーやスタッフを連れて帰ってきたので、遊びや食事に連れて行った」といった思い出話を聞かせてくれた。

ダン池田は私の記憶の中でそう古い人ではない。「8時だよ全員集合」の生放送のコントで発生した時間の過不足を、ダン池田が歌の伴奏の速さを自在にコントロールすることで帳尻を合わせていたとの話を聞いたばかりだった。

ところが私よりも若い世代の間では、ダン池田は知られていないらしい。昨夜、私よりも2歳から一回り若い数人と食事をしたのだが、私がダン池田に関するとっておきの話を披露しても、ピンと来ない様子だった。「あれっ、ダン池田知らない?」と聞いてみると、初めて聞く名前だという。私は大したことないことを大げさに吹聴する痛い人になってしまった。「その人はダン池田の古くからのバンド仲間として、『それは秘密です』に出演したこともある」という最終兵器のエピソードも、炸裂する機会を失ってしまった。

私が身近な人と有名人の意外なつながりに驚き、興奮するのは、私が別の場でそれを私の話のタネとして使えるからでもある。話しても反応が悪いとすれば興奮も半分になる。 いつか知人から「実は若いころに『ベルトクイズQ&Q』に出演したことがありまして」と打ち明けられることがあったとしても、今度は努めて冷静に対応しようと思う。

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