麦酒

現代美術の展覧会を見に行った。絵画のことなどほとんど知らない私でさえ知っている著名なアーティストの作品がいくつか展示されていると聞いて、クルマを2時間ほど走らせて山の中の美術館に着いた。

展覧会の開催予定を知ったのは2~3ヵ月前のことだった。展覧会の名前は「マインドフルネス」。高橋某という精神科医兼コレクターの所蔵品を並べてあるとのこと。胡散臭い自己セミナーみたいなタイトルだったために高橋某という別の人物が興した自己啓発兼新興宗教みたいな団体と勝手に混同してしまい、さらにMOA美術館みたいなものを想像してしまい、一度は行くのをやめようと思ったのだが、一度難解な現代美術を見ておけばいつか話の種になるだろうということで方針を再変更した。美術館に着いてみると、宗教や新興宗教とは関係がなかった。

結論から言えば、入場料と移動にかかった時間の価値は十分にあった。同時に思ったのは「これならおれでも描けそうだ」ということ。気まぐれとしか思えないような作品も多かった。入場者のかなりの数の人が、同じ感想を抱いたと確信している。

現代美術が「なんでもアリ」なら、絵心が皆無な人が殴り書きした線だってアートになる。しかし、現代美術の傑作と認識され、マーケットで高い値段が付いている作品と、そうでない作品の間には何か違いがある。現代美術を現代美術たらしめている共通の要素が何かあるはずだ。

私が至った結論は「学歴」。作品の横に小さく書かれているアーティストの略歴には、かなりの確率で「東京芸術大学」と記されている。若くしてニューヨークの美術大学などに留学した人もいた。目の前の作品の意味はわからない。が、このアーティストは天下の東京芸大で学んでいるのだから、オーソドックスな絵画や彫刻だってうまいはず。いったんそういう王道を通っているからこそ、目の前にある一見簡単でいいかげんな作品にも価値があるに違いないと、見る人を安心させてくれる。それだけ東京芸大の学歴には価値があるということだろう。入学が難しいのも納得できる。

作品の言わんとしていることは、まったくわからなかった。それでも見る価値はあるというのは、アーティストの意図なんて知ったこっちゃないけれど、この作品を見て私が感動したり驚いたりあきれたりという心の動きは確かにあったからだ。そういう意味でも、私は納得することができた。

ただ、どうにも納得できない作品が一つあった。ニューヨーク市が空爆されて炎に包まれる様子を描いた屏風絵だ。作者がこの絵にどんな気持ちを込めたのかについては関心がない。私が注目したのは、屏風の下に敷かれていたコンパネ(ベニヤ板)、さらにコンパネと床の間に並べてあった赤いサッポロビールのプラスチック製ケース(たしか6本入り)は作品に含まれるのかどうかということだ。

見る人の視線に合わせるためなら、美術館だってバカじゃないんだから適当な大きさの台を用意して屏風を載せるに違いない。美術館側の判断で、アートと不釣り合いなビールケースを台として活用したとは思えない。何らかの理由で屏風絵の作者が「下にはビールケースを置いて」と指定し、指示書では「ビールケース」の6文字の横に傍点を打ったのだろう。

その屏風絵も、アイディアはともかく、天才アーティストならではなの高度な技法が使われているとは思えなかった。ビールケースは、近所の酒屋から無償で借りられるありふれたモノだ。ただ、私には屏風絵をビールケースの上に載せる発想はない。「なるほど、この意外な組み合わせが現代美術なんだね」と無理に納得するあたりが、正しい鑑賞方法なのだろう。

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