黒鉄

 若いころは感じなかったが、歳をとると感じるようになるものがある。

 たとえば、福祉系のテレビ番組。率直に言って障害者の人の生き方になど興味がなかったのだが、周囲に障害を抱える人が増えたり、自分も「あと十数年で60歳」という年齢に達すると、「いつかは自分もこういう状況に」と自然に想定するようになるし、厳しい条件の下でも懸命に生きている姿に素直に感動したりする。

 コーヒーを飲むようになったのは10年ほど前からか。あるきっかけでまずは蜂蜜入りのコーヒーを飲むことが苦痛でなくなり、蜂蜜を確保しておくのが面倒だという理由で、やがてブラックを頻繁に飲むようになった。

 一方で、相変わらずダメなものもある。

 酒は相変わらず体が受け付けない。少し前のことになるが、妻が冷蔵庫に入れておいた甘いお酒が飲みやすかったのでコップに1杯飲んだら、翌日クルマを駐車場から出すときに真後ろにあった同僚のクルマにぶつけるなど、10年に1度クラスのミスが3つ重なった(あとの2つは大人として恥ずかしいので言わない)。

 新聞には相変わらずいい年したサラリーマンが酒に酔って痴漢をしてクビになるといった記事が定期的に出ているが、私のような酒に対する免疫がない人間のほうが、ケダモノと化すリスクが高いのではないかと恐れている。もう酒は死ぬまで飲まないであろう。

 あまりマンガは読まないのだが、先日、有名漫画家の書いている有名な連載の舞台として私の住んでいる街が選ばれたので、ビッグコミックオリジナルを読んでみた。その作品は今ひとつピンと来なかったが、ほかの作品は面白いと思った。もともとの目当てであった有名な作品についても、「いまは理解できないが、あと10年すれば私の心に響くのかもしれない」というような予感がある。

 一方、黒鉄ヒロシのマンガだけは理解できない。このあと面白くなるだろうという予感もない。

 黒鉄ヒロシとか、はらたいらとか、こういうマンガ家の作品は、子どものころからまったくの「謎」である。ビッグコミックオリジナルの大半のページを楽しめるようになるか、将来の楽しみくらいは予想できるようになった私にとって、黒鉄は難攻不落の城のような存在である。

 子どものころ、または30代のころでも、この種のマンガが理解できないのは、年齢や経験が不足しているためだと思っていた。ということは、この作品の想定する年齢層に達すれば理解したり、腹を抱えて笑ったり、悪くてもニヤリくらいはするのだろうといった漠然とした想定があった。おそらく、私は想定する年齢層に達しているはずなのだが、相変わらず1ミリも理解できない。おもしろいとかつまらないとかいうレベルでなく、どこにどう定規を当てて面白さを感じ取ればいいのかがわからない。

 昔、動物番組で、アザラシをシャチが襲うシーンを観たことがある。一般的にシャチはアザラシを食べるために襲うのだが、まれにアザラシで遊ぶシャチがいる。軽く噛んでは逃がし、水中から鼻で突いて水面の上に飛ばしたりする様子からは、シャチがデス・ゲームを楽しんでいるように見える。アザラシが負傷と疲れで溺死しそうになると、水面下で支え、岸辺まで送り届けてから、悠々と海の中に去っていく。アザラシはもちろん、私たち人間にも、シャチが何に喜んでいるのかが理解できない。シャチの世界には人間とはまた別の娯楽のルールが存在しているのだ。

 そんな記憶もあって、私は黒鉄ヒロシのマンガを久しぶりに読みながら、シャチにもて遊ばれるアザラシと化してしまった。黒鉄ヒロシには黒鉄ヒロシにしかわからない笑いや洒脱のルールがあるに違いない。仮に私が突然、酒豪になることがあっても、黒鉄ヒロシ作品を楽しむことはないと思う。

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