知違

 妻に言われるまま、上富良野の「後藤純男美術館」に初めて行った。後藤純男という人がどういう人なのか、まったく知らなかった。美瑛から富良野にかけてのエリアには写真、工芸、クラフトなどさまざまな種類の美術工芸品を展示・販売している施設があり、同じようなところといった程度の認識で、1人1000円を払って入場した。

 展示室に掲げられたパネルによれば、後藤純男はいまの日本画の画壇を代表する人らしい。入ってすぐのところにある松島の絵が良かった。2~3メートルの幅がある大きな絵で、朝日に輝く海と、その間に浮かぶ島々の風景は、絵というものを日頃ほとんど見ることがない私にとっても、感動的だった。近づいてみると、島に生えている松と、波の輝きの間が滲んでいた。カメラで撮ればまた違うのかもしれないが、人間の目で見た視覚的な受け止め方に近い表現なのだろう。

 隣の部屋には中国の山の風景を、幅十数メートルにわたって描いた大作があった。左端には太陽が輝き、右端はまだ雨が降っていて、その中間に太陽から雨への移り変わりが描写されている。日本とは違う中国の荒々しい稜線の効果もあって、絵の前のベンチに座り、右から左、左から右へと、しばらく黙って絵を眺めていた。

 観光バスで到着したらしい御一行様が、美術館のスタッフに先導されてその展示室に入ってきた。

「はいはいはい、こちらです。みなさんおそろいになりましたか。このあと2階のレストランで昼食をお召し上がりいただきますが、その前に少しだけご説明させていただきます」

 そのスタッフは、現代の日本画がどのような材料を使って描かれるのか、後藤純男という人が経歴を歩んできた人なのかなどを簡潔に説明したあと、こんな情報を加えた。

「ひょっとしたら後藤純男という名前を聞いたことがない方もいらっしゃるかもしれませんが、昔、『違いのわかる男』というコマーシャルのシリーズがあったことはご存知ですね。あのコマーシャルで、遠藤周作さんの次に登場したのが、後藤純男さんでした」

 会場内ではかすかなBGMが流れていたと思うのだが、その瞬間、私の頭の中で「ダバダーダバダバダーダバダー」が流れ始め、作品よりも前に、ネスカフェゴールドブレンドを味わう画家がつかつかと歩み出てきた。そのCMを直接覚えているわけではないが、作品がブラウン管に数点映しだされ、アトリエでの創作活動に続いて、左手で受け皿を、右手でカップを持ちながらコーヒーを味わう後藤が出てくることくらい、容易に想像できる。

 スタッフが続けた。

「みなさんからよく質問されるのが、当館で展示している絵がいくらくらいなのかということです。皆さんがいまご覧になっている絵は、どれも数億円です」

 そんなことを聞かされてしまっては、絵の中身などどうでも良くなる。中国の紫禁城、西安の農村、奈良の寺、京都の雪景色、そして美術館と向き合うように並ぶ十勝岳連峰。どの絵を見ても、「これは3億、いや、金箔がふんだんに使われているから4億にしておこう」と、知識もないのににわか鑑定人になってしまった。

 それまで素直に感動していただけに、入館したばかりの団体客に対して、美術館のスタッフがなぜ、絵の値段のケタを宣言したのかが理解できなかったが、芸術品に限らず、ある商品が社会にどう評価されているのかは、個人にとっても重要な要素だ。テレビ業界の人間でなくても、高視聴率のドラマなら見たくなる。本を読まない人でも記録的なベストセラーと聞けば買いたくなる。いまから約3年前「生キャラメルって、そんなおいしくはないよね」と言う人は例外的だったはずだ。

 絵画の場合には、評価づけのための明確な数値がないだけに、美術館のスタッフが展示品の価値を印象づけるには、値段を言うのが一番効果的だったのだろう。団体客のなかには、もともと後藤の作品にはあまり関心がなかったが、「億」と聞いた途端に熱心に鑑賞するようになった人もいたかもしれない。

 ただ、何百円という単位でも節約しながら生きている私にとっては、「億」の刺激が強すぎたのか、¥マークのない清らかな心では、鮮やかな色を惜しみなく使った大作を鑑賞することができなくなってしまった。むしろ、本格的な創作の合間に後藤が描いたと思われるシンプルな素描を眺めていた。

 月に1回、いや年に1回でいいから、「¥105」という嘘の正札、「ザ・後藤純男」という嘘POPとともに同じ作品を展示すれば、億単位の値段だの、画壇における評価だの、不純な要素に邪魔されずに、それまで気が付かなかった魅力が浮かび上がって来るような気がする。

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