遺失

 記憶力の低下に比例するように、モノをなくしてしまうことが増えている。この2週間くらいの間に、仕事関係の写真のプリント1枚、仕事で使うUSBメモリ1個、個人的に使っている電子辞書1個がたて続けに行方不明になった。

 このうち、紛失がバレると社会人としての地位が危うくなりそうなのは写真だった。会社のあちこちを探したあと、私の勤務先の机の橫にある移動式の引き出しを動かしたら、その下に落ちていた。普通、こういう場所は「モノをなくしたときに一応は探してみるが、決して見つからず、探してもいないモノが思いがけず見つかるところ」なのだが、意外にも写真が裏返しになった状態でそこに落ちていた。私はそこに行き着く前にゴミ箱やゴミ袋をひっくり返して捜索し、同僚を呆れさせてしまったので、次は引き出しの下を優先的に探すことにしよう。

 電子辞書がないのに気がついたのは1週間ほど前。自宅で見つからず、いつものことで会社の書類の山に埋もれてしまったのだろうと思い、地元の警察官、消防団、猟友会とともに行った山狩りが空振りに終わってから(このプロセスのなかでもっと大切な書類が見当たらなくなったりする)、電子辞書を最後に使ったのが飛行機の中であることに思い至った。

 飛行機が離陸してベルト着用のサインが消えたあと、電子辞書でちょっと調べ物をして、ちょっと疲れたので電子辞書を閉じ、目の前のポケットに入れたとき、「降りるとき忘れないようにしよう」と思ったことだけは、いまも思い出せる。降りるときに実際に思い出したのかどうかは、定かでない。

 その後も旅行で使ったかばんのポケットのなか、実家のテレビの上などを探したのだが、やはり見つからないので、航空会社に電話をかけることにした。電話番号を調べるためにこの航空会社のホームページを開いたら、私と同じような粗忽者が多いのか、忘れ物の申告フォームが用意されていた。フライトナンバー、搭乗日、なくしたもの、座席、連絡先などを記入して送信すると、翌日電話がかかってきた。「確かに届いてます。着払いの宅配便で送りますね」。

 それは掘り出し物の中古電子辞書に、やはり中古で買った別の言語の辞書カードを組み合わせたものなのだが、紙の辞書は字が小さすぎて、使うたびに「ついに虫眼鏡で辞書を引く年齢に達したか」と落ち込んでしまう。別の電子辞書を買わなければならないかと思っていたところだったので、航空会社からの連絡はありがたかった。

 私はいまのように物忘れが激しくなるはるか前から、いろんなモノをなくしてきたけれど、中でも悔しいのは小学校2年生のとき、社会科の副教材として配られた白地図である。気がついたら、カバンの中にも家にもなかった。副教材のなかには教科書なみに授業で多用されるものと、教材卸売業者と学校の先生の親密な関係という大人の事情のために買わされたので授業ではあまり使わないものの2種類があり、白地図はおそらく後者のほうで、授業中に不便を感じた記憶はない。それでも、あったはずの白地図が忽然と消えてしまうという不合理な現象が受け入れられず、私の目が届かないどこかにあるはずの白地図の存在を長い間意識していた。結局、白地図は約40年間が経過したいまも行方不明のままだ。

 もし死後に全知全能の神様(仏様でもアッラーでもいいが)に会う機会があったら、なぜ神は人間にかくも多くの苦しみを与え給うのか、素数と円周率の間にはなぜ関係があるのかは置いといて、まずは白地図の所在と、紛失の経緯をはっきりさせたいと思っている。次は、やはり幼いころ、お遣いの帰りに近所のおばさんに渡され、ふざけて雪の中に埋めたところ行方不明になったヨモギ餅。第3に、子どもなりに大切なものを隠しておいたのに、ある日消えてしまったブリキ製のおもちゃの金庫……。

 ここで神様が黙ってヨレヨレの白地図、腐ったヨモギ餅、錆びたおもちゃの金庫を私の目の前に並べたとしたら、私は紛失した懐かしい品々との再会を喜びながらも、心の中で「神様って、なにもわかってないんだな」とつぶやくことだろう。

 さて、最近行方不明になった3つのうち、もうひとつのUSBメモリが、今朝、出勤前に開いたカバンの中に入っていた。カバンの中は捜索ローラー作戦の出発点であり、文字通りカバンをひっくり返して中身を全部外に出し、ポケットというポケットに手を入れてすべて確認しており、今になってカバンのなかで見つかることに納得がいかない。メモリのなかには会社のホームページ生成用のデータが入っていて、これがあるとないとでは今後の作業の手間が大幅に変わってくるので、見つかったことはうれしいし、これで最近なくした3つがすべて回収できたことにもなるのだが、どちらかといえば不審感のほうが強い。

 私は、カバンの中をぜんぜん探していないのに、探した気になるほどボケてしまったのだろうか。その可能性がないわけではないけれど、むしろこの世の中のすべてのモノや生命の発生と消滅をつかさどっている神様が、だんだん粗忽になっているのではないかと心配している。

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遺失」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    「この話、絶対ほかの人に言っちゃだめだよ」 私:「もちろんだよ。これ、かなりやばい話だよね。絶対言わないよ」という会話をしたことは憶えているのですが、肝心の「かなりやばい話」の内容を翌日すっかり忘れてしまっていたことが、ここ最近で2回ほどありました。モノではないのですが。

  2. はじめまして。コメントありがとうございます。そうですね。そういうこともありますね。(まつさんが情報源に義理立てして、ここでは肝心の「やばい話」の内容を思い出せないことにしている可能性もあるかとは思いますが、そこはお互いいろんなしがらみのある大人ですから、波風を立てるのもどーかと思いますし、あえてここでは詮索しないことにしましょう。)

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