父娘

スナックやクラブ、その中間に位置すると思われるラウンジと呼ばれる店数軒と、仕事上のつきあいがある。仕事上とはいえ、一方的に金を払う立場ではママの心に不満もたまるはず。「たまには客として店を訪れることが、より長期の注文につながる」との錦の御旗を掲げて、先日東京から友人が帰省したさいに、そのうちの一軒に行った。仕事で御用聞きに行ったのがたしか半年前。客として行くのは初めてである。

「あら、あんまり久しぶりだから誰だかわからなかったわよ」。見たところ32歳のママは甲高い声を上げた。

いやいや、数えるほどしか知る人のいないこのブログにお世辞を書いてなんになる。

「あら、あんまり久しぶりだから誰だかわからなかったわよ」。見たところ38歳、実年齢私とほぼ同じのママは甲高い声を上げた。しばらくママと、人間がいかに信じられない生き物か、対照的に犬はどれだけ忠実か、といった話題で盛り上がった。お金をびた一文負担する必要のない場所でも同じ話題で盛り上がることがあるが、おそらく偶然の一致であろう。

「ではそろそろ」と私と友人が腰を上げたころ、隣のボックス席でほかの客に付き添っていたチーママがこちらにやってきた。

前回の御用聞きのさいチーママは休んでいたので、お目にかかるのは2年ぶりだ。店のなかに、薄い茶色のアップライトピアノが置かれている。最初にこの店を訪れたさいママに尋ねたところ、飾りではなく、一時期まで本格的にピアノを勉強していたチーママが時々弾いて客に聴かせるとのことだった。それがきっかけとなりチーママとしばらく話をしたのだが、こういう夜の街にはなかなかいない知的な人だと感じた。

……というような話をもし私が誰かから聞かされれば、おそらくスリムで細身の女性、さらにこの業界の実態を無視してまでメガネをかけ白衣姿にクリップボードを片手に持った様子を想像しただろうが、実際のチーママはグラマラスで、胸元が大きく開いたドレスを着ていた。

いつも迷うのだが、スナックやクラブで胸元が開いた女性に接客されたら、どこを見るべきなのだろうか。本人にとっては客寄せの看板であり、目をそらすのはその人が絶対的な自信をもつ魅力を否定するようなもの。あえて相手の目を直視して会話すれば、映画「愛の青春の旅立ち」に出てきた黒人の鬼教官のように「私の目を見るな!」と怒鳴ったりするのではないか、といったことを一瞬のうちに考えさせるほど、充分な迫力であった。

そのチーママが、意外な話を始めた。「父の葬儀のさいにはお世話になりました」。チーママの父親は私の父の60年来の友人であり、私もチーママに会った直後、偶然ある場所で父親と出会い、しばらく話をした。闘病中であることを聞かされてはいたが、話しぶりは元気だった。こんなに小さな街なのに、うかつにも亡くなったことを知らなかった。私の父は知っているのだろうか。「それは存じ上げませんでした。大変失礼いたしました」と私が言うのを遮って、チーママはさらに意外な話を続けた。

「父が亡くなる少し前に、やゆよさんとお目にかかりましたよね。その直後、父は初めて、私の仕事を認めてくれたんです」

たしかに、私は「娘さんは知的な人ですね。ママに全面的に信頼され、お店を繁盛させているようですよ」といった話を父親にした。お世辞ではなく、率直な印象を口にしただけだった。父親のほうは「まったく、いつまであんな仕事するつもりなのか」と吐き捨てるように言ったと記憶している。

「私がこの世界に入ってから、父は一度も私のことを認めてくれなかったんです。夜の店で働くなんて一家の恥だ。誰にも言うんじゃないぞって。もちろん店に来てくれたこともありませんでした。その父が『やゆよさんが褒めてたぞ。がんばってるらしいじゃないか』って」

私にも娘がいるので、父親の気持ちはわかる。自立するのはいいが、できれば昼の世界で働いてほしい。褒めてあげたいが、褒められない。お菓子屋やラーメン屋なら娘の働きぶりを見に行くこともできるのに、それもできない。

しかし、この父親も自分に残された時間が短いことは気づいていたはずで、娘の仕事をどこかの時点で認めたいとも感じていたのではないか。だとすれば私は、まったく意識することなく、父親に和解のための格好のきっかけを与えたことになる。

ママもチーママも私にとって、第一義的には「顧客」であるが、商売とは関係のないところで、顧客というよりも、一人の娘とその父親の和解に偶然役立てていたことが意外であり、うれしかった。他人への影響力を備えないままこの歳になってしまった私には、予想していなかった朗報だった。

勘定を書いたメモが来た。2人で7000円。この店の料金体系と比較すれば、約7割引だ。思わず「安すぎませんか」と尋ねた。ママは「いいのよいいのよ」と面倒くさそうに小声で言った。少なくともこの夜、ママにとって私は普通の「顧客」ではなかったようだ。どうりで延々とチワワの話をするはずである。

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