雑談

 最近、行動力や体力、発想力などと並んで、「雑談力」もこの社会で生きていくのに重要な能力の一つなのではないかと感じている。言い換えれば、私はそのような力に乏しい。

 会話にはさまざまな「場」の種類がある。正式な場では重要な情報が正確に伝えられる(ことになっている)。重要でない情報、正確でない情報は削られるが、削られた情報のなかに私が知りたい情報、将来役に立ちそうな情報が隠れていることは、けっこうある。そういう情報を吸収するのに、非公式な雑談という場が重要になる。

 今朝、会社に来たほぼ同業他社のAさんがこんなことを言った。「うちのB君。彼は優秀な人材だと思うんだけれど、効率が良すぎるんだ。取引先に行く。用件が済む。すぐに帰ってくる。その場に30分でも1時間でも残って、次の商売につながるような話をすることができないんだな」

 Bさんにはかねてから好感を持っていた。さらに好感が深まった。私とまったく同じだからだ。

 そこで今日の夕方に約束したCさんとは、将来の商売につながる雑談とやらをさせてもらうことにした。ところが約束の4時にCさんの会社に到着しても、目先の客への対応が忙しく、Cさんはなかなか私の方に来ない。これは雑談ところではないなと思い始めたころ、ようやくCさんの手が空いた。用件は15分で済んだ。それからCさんとの間で3時間近く雑談が続いた。私にとっては思った以上に長い時間だったが、会話は予想した通りの内容で、新鮮な驚きはなかった。相手にとって、私の話の内容はそれ以上に薄かったと思う。とはいえ、時間の無駄とは思わない。私の同僚であり、私よりもはるかに豊富な経験をもつD君によれば、こういう一見したところ無駄な内容でも、人間関係を築いておけば、いつの日か商売につながることもあるらしい。まあ、D君は保証はしてくれなかったが。

 Cさんとの話が予想以上に伸びたので、私は次の約束である小さな会合の場所に急いで向かった。十人近くの人がいただろうか。隣の席には初対面の、50歳代の男性、Eさんが座った。

 私はこういう場所でなら、初対面の人と雑談するのが決して不得意ではない。とくに用件がないので、「用件」と「用件外のプラスアルファ」を意識することなく話ができるのだ。

 私はEさんに対して、料理とか挨拶とか掃除洗濯とか、家庭内のしきたりはひとつひとつの家で驚くほど異なるというような話をした。以下はEさんが聞かせてくれた昔話の要約である。

「昭和30年代のことですが、私はかぎっ子だったんですよ。親が共働きで。○○町に今でもある市営住宅に住んでましたが、あのあたりで共稼ぎはうちだけでした。母が帰ってくるのは8時とか9時でね。6時ごろになったらおなかが空きますよね。そしたら、近所のお母さんたちが『うちに晩御飯食べにおいでよ』と言ってくれるんです。同じ年頃の子どもがいる家だけでなく、子どもがいない家もですよ。みんな優しくてね

「市営住宅のたくさんの家庭で、よくカレーをごちそうになったんですよ。そのカレーが、家によって全然違う。ソースがかかっている家とか、醤油がたっぷり入っている家とか。ある家では、カレーの上に白い粉がたっぷりかかっているので、なんだろうと思って舐めてみたら、砂糖なんですよ。甘口カレー。驚いたけれど、子ども心に食べないわけにいかないと思ったので、全部食べましたよ。

「家によっては、その家の子どもが『こんなカレーはおいしくない』とダダをこねて、残していましたが、ぼくはいつも全部食べました。だからこそ、自分の子どもよりも素直なこの子に夕食を食べさせてあげたいと、団地のお母さんたちは思ってくれたのかもしれません。

「そのころはまだカレーが一般家庭で普及しはじめたころだったのか、『これがカレーだ』というスタンダードはなくて、それぞれの家庭でオリジナルのカレーを作っていたんでしょう。どれが正しくてどれが間違っているというようなこともなかったんだと思います

「まだテレビはほとんどありませんでした。市営住宅でテレビがあったのは1軒だけで、ぼくが窓越しにのぞいていると、入って見ていきなよと言ってくれました。今じゃ考えられませんね。テレビがないから料理番組もなくて、カレーの正しい姿もよくわかっていませんでした。

「あのころの経験があるから、今に至るまで食べ物の好き嫌いはほとんどないんですよ。たいていのものは美味しく食べられます。砂糖入りのカレーですか? その家の子はいやがっていましたけれど、ぼくはおかわりしましたよ」

 いろんな家庭に歓迎されつつ、カレーとは名ばかりのユニーク創作料理にどきどきしながら、同時に、その家のお母さんに気をつかいながらスプーンを口に運ぶ少年時代のEさんの表情が思い浮かぶようだ。

 Eさんとの雑談が仕事に結びつく可能性が少しでもあるのかどうかはわからないが、雑談は実益に結びつかないほうが面白いということだけは確認できた夜であった。

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