昭和

 先日参加した昼食会。不況に抗してまずまずの経営状態にあると思われる企業の役員が吐き捨てた。「学生向けの就職説明会で、となりの企業のブースには長い列ができてる。うちのブースの前は『パラパラ』程度。事業の説明しても、うちに就職する若者なんてほとんどいないよ」。

 その企業は、決して先行きが楽観できない業界、道外にも展開しているため転勤が不可避であることなど、学生から見ればマイナス要素はたくさんあるのだろうが、その役員が口にしたもう一つの理由に驚いた。

「うちの社名に、『昭和』が入るのがダメなんだ。古臭い社名だと敬遠されちゃう」

 昭和が終わってからもう少しで四半世紀。いま就職の時期を迎える人にとり、「昭和」は私たちにとっての「大正」、ひょっとしたら「明治」と同様の響きがする言葉なのかもしれない。その企業はおそらく、まだ「昭和」という響きに新しさが含まれていたころに創業・命名されたのだろうが、それがいつか仇になるとは創業者も予想できなかっただろう。

 嘆きの会社役員のとなりに座っていた別の役員が、こう続けた。「そうなんですよ。カタカナの企業のブースのほうが、たくさん学生が並ぶんです」。

 その人が実例に挙げた企業は、カタカナ3文字に長母音の記号が1本。厳しい不況の続くこのまちにあっては、躍進著しい。学生の人気が高いのは業績が良いからだろうと反射的に思ったが、ひょっとしたらカタカナ系の会社に優秀な若者が集まり、その結果として業績が伸びたのかもしれないと思えてきた。

 カタカナ企業の人気は、私が就職活動した約20年前、いやその前から指摘されていた。いかつい響きの漢字社名を、語末が「ックス」となるカタカナ社名に変更する企業が多かった。しかし当時はまだ平成が始まったばかりで、「平成」を社名に冠した企業は新しいというよりも頼りなかった。当時、「昭和」は求職者に敬遠される理由になどならなかったはずだが、いまの若者は昭和なんて知らないのだから、いやがるのも当たり前か。

 もしも昭和が古臭いとすれば、大正はどうなる。「大正製薬」という社名は極めて重い「負の遺産」なのか。

 「ファイトー」「イッパーツ!」

 屈強な若者2人が最後の2語にことさらに力を入れるのは、タウリン1000mgがエナジーサイクルに作用しているからではなく、大正の古臭さを中和したいからなのかもしれない。

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大盛

 このまちに1軒だけ、吉野家がある。こういう業界はスケールメリットが収益を大きく左右するらしいので、札幌から1軒だけのために食材を運んでこなければならない現在の状況で採算が取れるのかどうか疑問なのだが、先日、昼食をとるために行ってみると、そこそこ混んでいた。車で数分の距離に、この吉野家を挟み撃ちするかのようにすき家が2軒オープンしたときにはもうダメかと思ったが、あれくらいの混み具合なら安泰であろう。

 私は豚肉生姜焼定食を注文した。牛肉よりも豚肉のほうが好きなので仕方がない。注文のあとでメニューを見たら、消えたはずの豚丼がいつのまにか復活しており、少し後悔した。

 その直後、私の斜め後ろで「大盛りひとつ」という声がした。年齢は私と同じくらい。橫には妻らしい女性が座っている。その店が面している道は観光スポットに向かう経路でもある。観光でこのまちを訪れ、レンタカーで全道を回っているうちに、ラーメン→ジンギスカン→カニ→ラーメンのローテーションに飽きたちょうどそのころ、懐かしい看板を見つけて立ち寄ったのかもしれない。

  その男性客が「牛丼の大盛り」ではなく「大盛り」とだけ言ったということは、吉野家は牛鍋丼でも豚丼ではなく、ましてやカレーでもなければ、定食類でもなく、牛丼を食べる店だと認識していることになる。考えてみれば、私が東京で吉野家に通っていたいたころ、朝の定食類を別とすれば、メインのメニューは牛丼と牛皿だけだった。「大盛りひとつ」の客も、当時から吉野家の忠実な顧客だったのだろう。

 その店を代表するメニューを、一部を省略して注文するのは「通」に聞こえる。みなまで言わんでも、足しげく通っている客なんだから、私と店員の間で暗黙のコミュニケーションが足り立つでしょうという宣言である。情報の一部を伏せるのが「大盛りひとつ」だとすれば、すべてを伏せてしまう究極のかたちが「いつもの」である。

 私には「大盛り」とだけ注文をした経験がないが、逆の経験は毎週のようにしている。汚いが繁盛している地元資本の定食屋のちょっときれいなおねえちゃんは、私が豚の角煮定食を注文するだけで、「半ライスですね」と確認する。そのときおねえちゃんが私の顔を直視しておらず、少し目を伏せているのが気になるが、まあいい。そんなことをいつまでも気にしているような輩に豚の角煮定食はにあわない。

 さて、吉野家にはこれからも時々行くだろうが、私は一部を省略することなく、すべて明示するかたちで注文しようと思う。「大盛りひとつ」という注文に対する「牛丼の、ですか?」という切り返しに、男性客が「あ、は、はい」と少し動揺するのが聞こえてしまったからだ。

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学連

 昼食のために中華料理屋、ラーメン屋、カレー屋などに行ったさい、普通なら読まないジャンルの雑誌を手に取ることがある。

 最も私の住む世界からかけ離れているのは、パチスロ攻略誌だった。乱数表のような数値をずらりと縦横に並べた表が出ているのだが、これを参考に遊べば投入額以上のお金が戻ってくるのだろう、と読者は期待してパチンコ屋に向かうのであろう。もしも数値に意味があるのなら、雑誌に掲載して広く知らせるよりも、情報を公開せず自ら利用したほうが儲かるはず。もっとも、同じことは競馬や株式の専門紙にも言え、パチスロ専門誌だけが悪質なわけではない。

 私が子どものころと変わっていないのは、学園暴力マンガの類いだ。ささいなことから、学校や学年を超えた対立の構図が生まれる。ケンカそのもののシーンはごくわずかで、そこに至るまでの友情や裏切りがダラダラと描かれている。こういう構図は学園はもちろんのこと、暴力団、会社だけでなく、ありとあらゆる組織に適用できるはずなので、そろそろ老人福祉施設内で繰り広げられる抗争を描くマンガが登場してもいい。

 私が中学校に通っていたのは、校内暴力がピークに達したころで、少し気の弱い教師は悪質な生徒にはまったくお手上げの状態だった。休み時間に教室でタバコを吸っている奴らもいた。まじめな生徒だった私は、いつか奴らに制裁が加えられるよう密かに願っていたが、あれから30年以上が経過したいまになって、1箱700円という鉄槌が下されるとは….。

 さて、たしか中学生のころだったと思うのだが、誰かからこんな話を聞いた。

「市内の複数の中学校の不良グループが連合して、『学連』という組織を作り、加盟していない中学校や、生意気な中学校を数の力で次々につぶしている」

 明らかにマンガの読みすぎだが、当時の私が注目したのは、「学連」が本当に存在するのかしないのかよりも、「学連」という組織がどのように運営されているのかだった。「連」は「連合」や「連盟」の略のはず。だとすれば、ある程度、体裁の整った組織体であり、「○○中学にこれから殴りこみじゃー」「おー」といったような行き当たりばったりの運営が許されるわけもない。

 ケンカをするにも、まず役員会に諮る必要があり、毎週決まった場所で開かれる役員会には、加盟各中学校の代表が、ドレスコード通りに改造された学生服を着用して集まり、「◯◯中は以前から反抗的な態度をとり続けているのは誠に遺憾であります。市内ゲームセンターでも当連盟の構成員をガメルなどの事象が報告されており、ぶっつぶす必要があるかと思いますが、いかがでしょうか」といった討議を行なっていると思っていた。ちなみに、ここでいうガメルとは、睨みつけるという意味の方言である。他の地域と同様、盗む、ねこばばするという意味もあったと記憶している。

 長い長いブランクを経て、少年時代を過ごしたまちに戻ってきた私は、中学生、しかも不良グループにルールに沿った組織運営などできないことを知っている。だいたい「学連」の存在自体怪しい。ところが、私が入っている公益団体で役員を務め、会合で積極的に発言している現在40代の中小企業経営者のなかには、中学生時代、一定のワルだった人も含まれている。当時、焼きそばパンを買いに子分を走らせる過程で覚えた人間操縦術や、対立する隣の学校のグループとの抗争のなかで覚えた駆け引きの機微を、まっとうな社会人になってからも役立てているようだ。

 彼らが額の左右に剃り込みを入れていたころから大人びた役員会を開いていたとは思えないが、学連時代には大人にあこがれつつも「これから殴りこみじゃー」「おー」といった発言が精一杯だった彼らが、中年になってからようやく夢を実現したのかもしれず、一度尋ねてみる必要はありそうなのだが、「てめえ、ケンカ売ってんのか」と胸ぐらを掴まれるおそれもあり、私は中学生時代と同様、彼らの発言を、目を合わせないよう注意しながら黙って聞いている。

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遺失

 記憶力の低下に比例するように、モノをなくしてしまうことが増えている。この2週間くらいの間に、仕事関係の写真のプリント1枚、仕事で使うUSBメモリ1個、個人的に使っている電子辞書1個がたて続けに行方不明になった。

 このうち、紛失がバレると社会人としての地位が危うくなりそうなのは写真だった。会社のあちこちを探したあと、私の勤務先の机の橫にある移動式の引き出しを動かしたら、その下に落ちていた。普通、こういう場所は「モノをなくしたときに一応は探してみるが、決して見つからず、探してもいないモノが思いがけず見つかるところ」なのだが、意外にも写真が裏返しになった状態でそこに落ちていた。私はそこに行き着く前にゴミ箱やゴミ袋をひっくり返して捜索し、同僚を呆れさせてしまったので、次は引き出しの下を優先的に探すことにしよう。

 電子辞書がないのに気がついたのは1週間ほど前。自宅で見つからず、いつものことで会社の書類の山に埋もれてしまったのだろうと思い、地元の警察官、消防団、猟友会とともに行った山狩りが空振りに終わってから(このプロセスのなかでもっと大切な書類が見当たらなくなったりする)、電子辞書を最後に使ったのが飛行機の中であることに思い至った。

 飛行機が離陸してベルト着用のサインが消えたあと、電子辞書でちょっと調べ物をして、ちょっと疲れたので電子辞書を閉じ、目の前のポケットに入れたとき、「降りるとき忘れないようにしよう」と思ったことだけは、いまも思い出せる。降りるときに実際に思い出したのかどうかは、定かでない。

 その後も旅行で使ったかばんのポケットのなか、実家のテレビの上などを探したのだが、やはり見つからないので、航空会社に電話をかけることにした。電話番号を調べるためにこの航空会社のホームページを開いたら、私と同じような粗忽者が多いのか、忘れ物の申告フォームが用意されていた。フライトナンバー、搭乗日、なくしたもの、座席、連絡先などを記入して送信すると、翌日電話がかかってきた。「確かに届いてます。着払いの宅配便で送りますね」。

 それは掘り出し物の中古電子辞書に、やはり中古で買った別の言語の辞書カードを組み合わせたものなのだが、紙の辞書は字が小さすぎて、使うたびに「ついに虫眼鏡で辞書を引く年齢に達したか」と落ち込んでしまう。別の電子辞書を買わなければならないかと思っていたところだったので、航空会社からの連絡はありがたかった。

 私はいまのように物忘れが激しくなるはるか前から、いろんなモノをなくしてきたけれど、中でも悔しいのは小学校2年生のとき、社会科の副教材として配られた白地図である。気がついたら、カバンの中にも家にもなかった。副教材のなかには教科書なみに授業で多用されるものと、教材卸売業者と学校の先生の親密な関係という大人の事情のために買わされたので授業ではあまり使わないものの2種類があり、白地図はおそらく後者のほうで、授業中に不便を感じた記憶はない。それでも、あったはずの白地図が忽然と消えてしまうという不合理な現象が受け入れられず、私の目が届かないどこかにあるはずの白地図の存在を長い間意識していた。結局、白地図は約40年間が経過したいまも行方不明のままだ。

 もし死後に全知全能の神様(仏様でもアッラーでもいいが)に会う機会があったら、なぜ神は人間にかくも多くの苦しみを与え給うのか、素数と円周率の間にはなぜ関係があるのかは置いといて、まずは白地図の所在と、紛失の経緯をはっきりさせたいと思っている。次は、やはり幼いころ、お遣いの帰りに近所のおばさんに渡され、ふざけて雪の中に埋めたところ行方不明になったヨモギ餅。第3に、子どもなりに大切なものを隠しておいたのに、ある日消えてしまったブリキ製のおもちゃの金庫……。

 ここで神様が黙ってヨレヨレの白地図、腐ったヨモギ餅、錆びたおもちゃの金庫を私の目の前に並べたとしたら、私は紛失した懐かしい品々との再会を喜びながらも、心の中で「神様って、なにもわかってないんだな」とつぶやくことだろう。

 さて、最近行方不明になった3つのうち、もうひとつのUSBメモリが、今朝、出勤前に開いたカバンの中に入っていた。カバンの中は捜索ローラー作戦の出発点であり、文字通りカバンをひっくり返して中身を全部外に出し、ポケットというポケットに手を入れてすべて確認しており、今になってカバンのなかで見つかることに納得がいかない。メモリのなかには会社のホームページ生成用のデータが入っていて、これがあるとないとでは今後の作業の手間が大幅に変わってくるので、見つかったことはうれしいし、これで最近なくした3つがすべて回収できたことにもなるのだが、どちらかといえば不審感のほうが強い。

 私は、カバンの中をぜんぜん探していないのに、探した気になるほどボケてしまったのだろうか。その可能性がないわけではないけれど、むしろこの世の中のすべてのモノや生命の発生と消滅をつかさどっている神様が、だんだん粗忽になっているのではないかと心配している。

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良野

 富良野に行くことにした。着いたあとどこに行くのか話し合っている途中、ハンドルを握っている私のほうが猛烈に眠たくなり、妻に運転を替わってもらい、熟睡した。目が覚めると車は富良野駅の近くまで来ていた。

 目の前に「『北の国から』資料館」が見えた。富良野といえばスキー場のほうに近いケーキ屋、レストラン、チーズ工房などには行ったことがあるが、市の中心部では何年か前にカレー屋めぐりをした記憶くらいしかない。この資料館が存在していることもこの日まで知らなかった。他に行きたいところもなかったので、1人500円ずつ払って入場してみた。

 入り口のすぐそばに、田中邦衛をはじめとする主要な出演者の大きな写真が並んでいた。長い期間続いていたドラマなので、出演者の数も多い。へぇ、こんな人まで出演していたんだと、驚くような顔ぶれもあった。

 少し進むと、ドラマの制作前の企画段階にまつわる展示物が並んでいた。壁に、「東京の人が喜ぶ、北海道を舞台にしたドラマならそれでいい」というプロデューサーに反論する脚本家・倉本聰の言葉が書き留められていた。

「地元・北海道の人を感動させるようなドラマでないと意味がない」(大意)

 申し訳ない。私は道民でありながら、「北の国から」で感動したことはおろか、見たこともない。もともとドラマというものをあまり見ないし、「ふらの」の3文字のうち、現地語のように「ふ」ではなく、「らの」をやや高く発音するようなドラマは、どうせ外から来た人間が一方的に個人的な思いを投影しただけの虚像だという先入観があった。

 考えてみれば、このドラマについて知っていることといえば、「五郎」(田中邦衛)、「純」(最近もときどきテレビに出ている人)、「螢」(同)の家族3人が主軸となるドラマであること、宮沢りえが露天風呂に入ったこと、富良野が舞台であること、「子どもがまだラーメン食べている途中なんだよ」みたいなシーンがコントでよく引用されること、さだまさしがよく主題歌の作曲の経緯を面白おかしくトークのなかで紹介していること、くらいしかない。ということは、私の先入観にも何ら根拠はないのだが。

 驚いたのは、脚本家が主人公が生まれてからドラマの出発点となる昭和五十年代後半までの人生の歩みを、ドラマのなかではおそらく描写されないにも関わらず、細かく設定していたということ。有名脚本家ともなればこういう仕事にも労を惜しまないようだ。

 その後も、昔のドラマの場面場面を収めた写真、あらすじ、年表などが並んでいた。断片的なことしかわからないが、設定は面白そうだ。富良野出身の五郎。東京で結婚した妻が浮気して失踪。失意の五郎は子ども2人と故郷の富良野での生活を始め、妻の妹が五郎たちのことを案じて富良野にやってくる。うかつにも長い間知らなかったが、乱倫系のドラマであった。そうか、人気の秘密はそこにあったかとまた感心しているうちに、私の妻が「五郎の妻=竹下景子、妻の妹=いしだあゆみ」と考えながらいちいち写真にうなずいていることに気がついた。

 私は「五郎の妻=いしだあゆみ、妻の妹=竹下景子」だと思って頭のなかでドラマのシーンをなんとなく組み上げていたが、だとするとドラマの内容もまったく違ってくる。考えてみれば私もドラマは見ていないし、資料館のなかでは映像は流れていないので、自信はない。入り口付近の写真まで戻って、私のバージョンの配役が正解であることを確かめた。

 あとはもう、登場人物が多すぎて、誰が誰で、何をしたのかわからない。私なら入り口の前にこんな看板をぶら下げたい。

「ドラマのファンでない人が観覧しても意味がない」

 もうひとつ、「北の国から」について覚えていることがあった。高校生のころ、富良野出身の同級生が、「実際にはすごく遠くはなれている所が、ドラマのなかでは近所になっている」と言っていた。ドラマがどんな出来だったのかは結局よくわからないが、ドラマの舞台となったまちから距離が近ければ近いほど、「つくりもの感」を覚えてしまうのは避けられないのではないか。そういえば、「ケンミンショー」の中で描写される大阪人の生態はウソばかりだという大阪人の怒りの言葉を聞いたことがあるが、私はすべて真実だと信じている。

 さて、私たちが観覧しているときは、人影もまばらだったが、それでも一つ一つのコーナーに足を止めて、丹念に写真、ゆかりの品々、その説明文を読んでいる若い女性もいた。この人なんかは完全に「らの」派であろう。

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めったに夢を見ないのだが、コマーシャルのCMを見た。宣伝されているのは、「フツーの卵」。抗生物質を使わず、ニワトリに暮らしやすい環境のなかで産ませたことを「フツー」として、ほかの卵があんまり普通じゃないと暗黙のうちに訴求する戦略のようだ。

将来私がどうにかなってしまったら、「そういえばあのころには」と思い当たられそうな予感もするが、以下、画像で。万一、地方の広告業者で使いたい人がいるなら、ご自由にどうぞ。


 
 


 
 


 
 


 
 


 


 
 


 

 

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編曲

カラオケもそんなには歌わない私なので全然的外れなことを言っているかもしれないが、昭和40年代の歌謡曲が聞いていて気持ちいいのは、アレンジが理由なのではないかと思うことがある。人の声のほかに、トランペット、ピアノ、バイオリン、エレキギター、ドラムなど、次々と登場するさまざまな音色がそれぞれどんな形の楽器から出ているのか、私でもイメージすることができる。この文章を入力している最中、SMAPが「ありがとー、ありがとー」と歌っているのがラジオから聞こえているのだが、シンセサイザーが合成したためか、楽器をはっきりと意識できる音がなにも伴奏に含まれていないし、ついでに言えばだれがどこを歌っているのかもわからない。

昔の曲が新しいアレンジとともに再登場することはよくある。というよりも、未来の曲を過去に遡ってカバーできない以上、カバーとは必然的に昔の歌詞とメロディーに新しいアレンジを加えた形式になる。このほか、古い/新しいという時間軸にとらわれず、最近のJ-POPをまったく違う感じの曲に移し替えることもある。たとえば喫茶店やケーキ屋のBGMでよく使われているオルゴール風の曲、やや洋風な旅館のロビーでかかっている大正琴の曲がそうだ。ジャズ調やクラシック調もあるはず。唯一、まだシンセサイザーがなかった昭和40年代の歌謡曲風にアレンジしたものは、まだ聞いたことがない。

もうどこかでさんざん使い尽くされているのかもしれないと案じつつ書くのだが、最近のJ-POPを昭和40年代風にアレンジしたら、けっこう売れるのではないだろうか。ダン池田とニューブリードがバックで演奏すれば、Exileに対して「できることなら狭い路地ですれ違いたくないお兄さんたちだな」程度の認知しかない中高年層の耳にも、どこかで聞いたようなトランペットやドラムの音とともにすんなり入ってきて、今度飲み屋で流しにリクエストしてみようという気にもなる。

私は子どものころ、ラジオやレコードではなくもっぱらテレビを通じて歌謡曲に触れていた世代なので、大編成のバンド演奏と、歌手の後ろの踊り子の集団をセットで記憶している。Exileの大半を占める踊り子さんは花柳糸之社中に入門してもらい、ビジュアル面にもこだわりたい。

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