継続

 歳をとると、という書き出しで文章を始めれば、そのあとは体力が落ちるとかもの忘れが激しくなるとか、ネガティブな言葉が続くのがこのブログの常だが、思えば悪くない変化もある。若いころにはひとつのことを続けることがまったくダメだった自分が、気がつけば一つのことをコツコツ続けていたりするのだ。

 まず、例のホームページである。3~4ヵ月野ざらしにしたこともあるので「継続」と呼べるかどうかは微妙なところでも、私と同じころに開かれたホームページの99%は跡形もなく消えているか、もう何年も更新されていないので、「続けている」と表現しても大きく外れてはいないだろう。「続けることが男のたったひとつの勲章だって、この胸に信じて生きていく」と口ずさみながら、これからも更新するのだと思う。

 継続力が出てきたのは意志が強くなったからではなく、科学技術の進歩のおかげでもある。もう3年近く、あるラジオ番組を1度も欠かさずに聞いている。震災の影響などでその番組が中止されたとき以外は。過去2年間の放送分は、録音した音声ファイルがパソコンの中に入っている。私は決まったテレビ番組を見るということが不得意で、途中で抜けてしまうのがわかっているから連続ドラマなどは最初から見ない。その私が3年近くも「継続」できているのは、ひとえにラジオ番組をMP3で録音する装置を買ったからである。昔はカセットテープがすぐ一杯になってしまい、交換を怠って録音が止まってしまった。今使っている機械はメモリ1ギガバイトと、いまになってみれば貧弱な容量しかないけれど、それでも音質を下げれば24時間は録音できる。

 毎日欠かさずではないけれど、断続的にということなら、フランス語講座もこの5~6年、聴き続けている。しかしフランス語が話せるようになる気配は微塵もない。ラジオ講座を聴き続けることと、話すようになることの間に広がるとてつもなく大きなギャップの存在に、5~6年の時間をかけてようやく気がついたというのも、コツコツ型への変化の証明ではないだろうか。昔なら1~2年で、これはどうもおかしいと気付いたはずだ。

 もう一つ、犬の散歩がある。もう10年、最低1日1回、妻が忙しいときには1日2回、犬と一緒に近所を歩いている。もっともこれは私の意志というよりも、犬が屋内で糞尿を撒き散らす事態を防ぎたいという、文明社会なら当然の理性的な判断によるものだ。

 さて、フランス語がいっこうに話せるようにならないという話とは多少矛盾するけれど、人間が抱えている問題のかなりの部分は、継続することで解決するのではないかと思うことがある。資格が欲しい。粘り強く勉強すれば資格が取れるけれど、大部分の人は途中で怠けてしまい、挫折してしまう。太りすぎの人も、たとえば1日100グラムのペースで痩せるようにすれば、1ヵ月で3キロ、10ヵ月で30キロも体重が落ちるのに、ダイエット開始後4日目でケンタッキーに吸い寄せられ、小脇にバレルを抱えて帰宅し、もうどうでも良くなってしまう。まじめな話、高血圧、糖尿病などの生活習慣病の人も、継続できるかどうかで生活の質が変わってくるのだと思う。

 ではいかに習慣や努力を継続させるかといえば、自分だけの力ではなかなか難しい。誰かが努力を見つめて、励ましてくれて、脱落しそうになったときには叱ってくれることで、継続率はグンと高まるのではないだろうか。

 私は最近、「続けさせ屋」という仕事に成立する余地があるのではないかと、真剣に考えている。たとえば減量。フィットネスなどダイエット関連の業者はたくさんあり、そこでは「こういう運動をすれば痩せやすい」などのノウハウを提供するだけでなく、利用者が途中で脱落しないよう、グラフを見せて努力の効果を実感させるとか、あごまわりがすっきりして美人になったと言葉で励ますとか、さまざまな働きかけを行なっているはずである。

 資格の通信資格なら、国家試験で出てきそうな問題をひたすら練習させるだけでなく、利用者が全国的にどのレベルにいるのかを知らせたり、先輩合格者に「心が折れそうになったとき、どう乗り越えたのか」といったエピソードを語らせることで、継続的な努力を促しているのだろう。

 私の考える「続けさせ屋」とは、こういったサービスのうちノウハウの提供以外を請け負う仕事のことである。利用者が決めた行為の継続をひたすらサポートし、その対価を受け取る。なにを続けさせるかは利用者次第。ダイエットかもしれないし、資格試験の勉強かもしれないし、ひょっとしたら自宅の整理整頓かもしれない。

 私のイメージする続けさせ屋の仕事の流れはこうだ。まず電話で申し込みを受けたら、サービスの概要を電話で説明。納得してもらえたら、直接会って面談し、顧客との共同作業でプランを練る。

私「さて、あなたはどんな目標を立てているのですか?」

客「カカトスベスベサロンを開くのが夢なんです。3年前に他界した父のカカトがまるでゾウの足のようにカチカチだったので」

私「それはあなたの夢ですよね。いや、夢は大切ですよ。夢は大きなエネルギーになる。でも、いきなりはカカトスベスベサロンは開けませんよね」

客「そうなんです。カカトスベスベサロンを開業するには、一般社団法人日本カカトスベスベ協会の実施する試験に合格してカカトスベスビストの資格を取らないとだめなんです」

私「その資格がないと、無資格営業になるんですか?」

客「いえ、無資格でも違法ではないんですけど、お客さんは資格の有無を気にするので、店の経営が成り立たないんです」

私「そうですか。では、あなたの目標をこう定義しましょう。『カカトスベスビストの資格を取る』。では、その資格をいつまでにとりたいんですか?」

客「カカトを出して歩くようになるのは早くても5月。施術を始めてから効果が出るまで約3ヵ月。開店準備の時間も考えて、今年の10月15日の試験に合格できればちょうどいいかな」

私「そのタイミングなら開店時、『今年の夏は、スベスベカカトでライバルに差をつけろ』という宣伝も打てそうですしね。試験が10月15日なら、私との契約もその日までということにしましょう。で、試験の内容は?」

客「学科試験と実技試験があります。これが学科試験用の問題集です。実技試験はふやかし、削りとり、研磨の3科目です」

私「えーと、問題集は4冊で、目次や解説を除けば実質合計270ページですね。いまから試験日まで33週間。1週間に10ページずつ進めば、余裕をもって準備を終えることができます。土日は復習にあてるとして、月~金曜日は1日2ページずつ勉強してください。学科試験対策の進行表は、私が作成して明後日までに郵送します。実技試験対策はどうするのですか?」

客「毎週金曜日の夜、となり町のカカトスベスベサロンで開かれる教室に通って教えてもらいます。毎週土曜日の午後、友人や家族に私の家に来てもらい、練習台になってもらいます」

私「その詳細なスケジュールを教えてください。実技試験対策の進行表も作りますので。今日の面談は以上です。『私に任せておけば絶対合格』なんて言うつもりはありません。合格も不合格もあなた次第です。でも、合格するまで、またはギブアップするまで、あなたを孤独にさせることはありません。それだけはお約束します。頑張りましょう」

 このあとは、電話またはメールで毎日決まった時間に連絡し、進行状況の確認、心理的な励まし、脱落しそうになった場合の面談などを行い、目標達成(上記の例でいえば資格取得。カカトスベスベサロンの開業ではない)をサポートするのが、続けさせ屋の業務内容である。ポイントは、カカトスベスベサロンという仕事や資格試験の内容について、続けさせ屋は最低限の知識しか持たず、かつ持たなくてもこの仕事が成立するということ。一方、継続を促すためカウンセラーのような知識や技能は要求されるのかもしれない。

 料金は面談時に登録料として3万円。以降、毎月のサポート料として1万円というところだろうか。資格取得や減量のために世間の人が払っているお金と比較すれば安いものである。登録と計画作成のさいの手間はかかるものの、その後は電話やメールによる連絡が主で、多数の顧客を同時進行でサポートでき、単価を抑えられることも、もう一つのポイントである。

 と、既存の仕事を解説するような気持ちで書いてしまったところで心配になり、「継続」をグーグルで検索してみた。ページの右側に「継続なら 続けさせ屋におまかせ」といった広告は一つも表示されなかったので、未開の地ではあるようだ。誰かこういう仕事を始めてみてはどうだろうか。私は、以前よりも継続力が強まっているとはいえ、自分の部屋をきれいに片付けようという決意は相変わらず5分ももたないので、他人様を指導するなんてとんでもない。誰かが続けさせ屋になり、上の例で紹介した人が実際にカカトスベスベサロンを開くまで、せめて辛抱強く自分のカカトに「ビタミンA油配合 ヒビケアFT軟膏 第3類医薬品」を擦りこむことにする。

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鼻詰

 それは、大学2年の冬のできごとだったと思う。私は四畳半プラス台所、トイレは別の部屋の住人1人と共有、風呂なし、2階にある木造アパートに住んでいた。大家は1階に住む3人家族で、三味線の上手な老婆、塗装業を営むその息子夫婦がいた。当時、このくらいに見える人は何歳くらいという概念がまったくなかったので定かでないが、おそらく70歳前後だった老婆がある日、2階への階段を駆け上がろうとする私に話しかけてきた。

「うちの孫がね、千葉大に合格したんですよ」

 老婆は、千葉大なんて大した大学じゃないと思っていたのだが、聞いてみるとかなりの難関校らしく、自分にとっては出来過ぎの孫である、みたいなことを言った。私は、千葉大はコンピュータ関連で注目されている新興勢力で、お孫さんは将来偉くなるか、お金持ちになるかもしれませんよ、といったことを、ややお世辞混じりで言った。その日の天気は晴れだったように記憶している。

 私は大学3年の夏ごろ、そのボロアパートを出て、なにを血迷ったのか、大学に行くまで地下鉄と電車を乗り継がなければならない練馬区のワンルームマンションに引っ越した。25年近く前のできごとだから、あの老婆はこの世にいないと考えるのが自然だし、ひょっとしたら息子夫婦ももう死んでいるかもしれない。

 彼ら3人の顔は記憶に残っていないが、あの日老婆が孫の千葉大合格を自慢したことだけは覚えている。なぜなら、あの瞬間、私は両方の鼻の穴が完全に詰まっていたからだ。老婆のほうも、ずいぶんとつらそうな声で話す若者だと、長くその会話を記憶していたのではないか。

 私は鼻の構造に少々問題があるのか、よく鼻が詰まる。父の枕元にも常に鼻づまり薬があるので、遺伝的な体質であろう。若いころ、風邪を引くとまず鼻が詰まった。この十数年は妻に体にいいもの(正直、私は体にいいものがあまり好きではないのだが)を私に盛んに食べさせるので、体質が改善したのか、比較的鼻の通りが良くなっていた。ところが、以前に書いたと思うが、2~3年前からはアレルギー体質になり、夏には鼻呼吸が滞ることが増えている。

 それでも鼻づまりが頭痛や扁桃腺の腫れよりもマシなのは、なぜか両方の鼻腔が詰まることがないためだ。片方、たとえば左側の穴が詰まっている。詰まっているところに硬いチューブを入れて無理やり鼻の幅を広げたような感じがして短時間、両方の鼻が通ったのもつかの間、逆の鼻の穴が詰まる。数時間周期で、この繰り返しである。なぜ鼻の穴は最悪でも片側通行止めの交互通行が維持されているのかは、私にとり最大の「人体の神秘」であり、この神秘に感謝していた。

 唯一、大学2年の冬の日の、あの時間帯だけ、完全に両方の鼻が詰まった。翌日には左右どちらかが詰まる通常モードになっていた記憶がある。約45年の時間でそれが唯一の体験であるために、その時、老婆と交わした会話の内容をいまもはっきりと覚えているのだ。

 両方の鼻が詰まるのは非常に不快である。高い頻度で完全通行止めが発生するようだと、酸欠になる以前に精神衛生に重大な悪影響を及ぼすような気がする。最低でも片側が通行できるのは、人間の長い進化の歴史のなかで、両方通行止めとなった個体が自暴自棄になりことごとく火山の火口に向かって突進した結果なのではないか。

 他の人と鼻づまり談義をしたことがないので、他の人も同じなのかどうかわからないが、他の人の鼻が片方詰まっている状態の声を聞いたことがあっても、両方完全に詰まっているとき声を聞いたことがないので、このフェイルセーフ機構は誰にでも備わっているのだろう。

 実は、さきほど、2~3時間にわたって両方の鼻が詰まってしまった。実に四半世紀ぶりの2回目である。「25年ぶり2回目」をグーグルで検索してみたら、2007年の紅白であみんが「待つわ」を歌ったのが同じ状況らしい。鼻の完全通行止めもいやだが、25年間も待ち続ける女はもっといやだと、ちょっと気分がラクになった。

 なお、この文章を入力している時点では、片方の鼻の穴が通っている。次の完全通行止めが25年後だとすれば、そのとき私は70歳。千葉大に合格した「孫」のそのまた孫がどこかの大学に入ったっておかしくない遠い未来の話だ。

 結婚とか小学校入学とか普通は1回しかないもの、海で溺れかけたとか望ましくないものを除けば、両方完全鼻づまりは私が記憶する2つの「唯一の体験」のうち1つだったのだが、今日、その地位から滑り落ちてしまった。残っているのは、テスト前の練習では一度も成功せず、テストの後何度挑戦しても失敗した(まわったあとも鉄棒から降りないタイプの)前回りしかない。まさか私がこれから鉄棒に挑戦するとは思えないので、こちらの地位は安泰だろう。

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法話

 取引先の人のお母さんが亡くなったので、お通夜に参列した。故人には生前お目にかかったことがなく、取引先の人以外には知っている人もいない。お経の途中で疲れて眠りそうだったので、1+2=3、1+2+3=6、1+2+3+4=10……と頭の中で計算を繰り返した。

 お経が終わると坊さんの説教。法話というのだろうか。これまで参加したお通夜で、坊さんのお話に感動した経験がない。お葬式での友人代表のあいさつが、かたちはいろいろでも、どれもそれなりに感動的な要素を含んでいるのに、坊さんはなぜ話が下手なのだろうといつも思う。

 下手なだけならまだいいのだ。故人でもブッダでも菩薩でもなく、生身の自分、つまり坊さん本人に焦点を当てた話を延々と続ける人が多い。「亡くなった○○さんとはゴルフを何度かご一緒させていただいたことがあり、あのゴルフというのは面白いもので、私も最初は下手だったのが、練習場にしばらく通ううちに……」と自慢話を何分も続けた人がいた。

 昨夜の坊さんもひどかった。「故人は長らく、腎臓のご病気で入院をされていたそうですが、私も若いころ急性肝炎で入院したことがあり」から始まって、しばらく肝臓であることに気がつかなかったこと、耳鼻科で「うちの担当の病気じゃない」と言われて困ったこと、大型の病院に行ったらすぐ入院しなさいと命じられ、帰宅できたのは2ヵ月後だったことなどを振り返り、最後に「内臓の病気は本当に辛いんです。故人も苦しまれたことでしょう」と締めくくった。ようやく苦しみから解放された故人の亡骸と遺族を前に、そういうことを言うべきなのかどうか。

 その話を私の両親にしたら、母に「そんなのはまだマシなほう」と言われた。近所の人の母親が90代でなくなった。近所の人も体が悪いので、母親を老人福祉施設に預けていた。通夜の読経のあと、坊さんは「親は自分のそばにおいて世話するのが当たり前だ」と言って、目の前にいる遺族たちをなじったというのである。

 坊さんだってサービス業であり、少なからぬお布施を取っているのだから、もう少し工夫して「いい話」を聞かせてくれてもいい。私を含め、いまは自分が浄土宗なのか真言宗なのか禅宗なのか、はたまた新興の宗派なのかなどについては関心がない人がほとんどなのだから、どのお寺でも自由に選べるようなシステムにすれば、もうちょっとはマシになるのではないかと思う。

 坊さんのあとに出てきたのは葬儀委員長だった。その斎場を営む会社の取締役だという。業界内の有力者や町内会長など、適当な人物がいない場合には、たとえ故人と面識がないとしても、こういう人に頼むパターンが多いのかもしれない。

 「○○さんは昭和○○年○○月○○日、北海道○○町○○で父○○○さんと母○○○さんの間に、○人きょうだいの○番目として生まれ……」

 葬儀委員長が略歴を説明するのを聞いていて、故人の人生をぼんやりと想像していたのだが、しばらくして葬儀委員長が手に持ったメモをまったく見ていないことに気がついた。数分の間続いた説明のなかには、かなりの数の数字と人名、地名が含まれていたが、葬儀委員長はその全てを暗記していた。私にはそれが正確なのかどうか確かめる術がないが、故人の子どもたちの名前を、本人が見ている前で間違えるとも思えない。会ったばかりの人の名前も思い出せない私にとっては、見たところ70代の白髪のおじいさんの見事な記憶力に感嘆するしかなかった。「故人の人となりについては、ご参列の皆様のほうがよくご存知でしょうが」と、面識がなかったことを正直に言うところも好感が持てた。

 私の葬式はどうすればいいのか。私はそのときにはこの世から消えているので、関心がない。考えなければならないのは、親、とくに父の葬式をどう営むかである。坊さんについては、「宗教色は一切いらない」と父がはっきり言っている。しかし一人くらいは誰か挨拶しないといけないだろう。私の父はちょっといないくらいスピーチが上手な人なので、「遺族に成り代わ」る誰かが、はたまた遺族の代表になるであろう私が、父以上にうまい話ができるとも思えない。「お父さんは話が上手だったけど、子どもはねぇ……」と陰口を叩かれるのがオチだ。このため、父が元気なうちに録画または録音しておいて、斎場で「では遺族に成り代わりまして、故人本人が一言ご挨拶申し上げます」という映像か音声を流そうということで、すでに父とは意見が一致している。

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履歴

 昨日、友人から聞いた話。迷惑をかけないよう、話の本筋以外はところどころデフォルメしてある。

 その友人が経営している会社で欠員がでた。後任を採用するために新聞広告を出した。数人から履歴書が送られてきた。

 そのうち1枚に、いったんクシャクシャにされて広げられたような跡があった。封筒は普通の状態だった。なぜこんなものを送ってくるのだろうと疑問に思っていたら、2~3日後に女性の声で電話がかかってきた。

「その履歴書、私の娘が送ったものなんです。書いている途中でどうせ採用されないと思って、イライラしてゴミ箱に捨てちゃったんですけど、私があきらめないで挑戦してみれば採用してもらえるかもしれないって励まして、送らせたんです。とっても真面目で、チャンスさえ与えられればしっかりやる子です。どうか面接だけでも……」

 友人は丁重にお断りして電話を切ったという。

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知違

 妻に言われるまま、上富良野の「後藤純男美術館」に初めて行った。後藤純男という人がどういう人なのか、まったく知らなかった。美瑛から富良野にかけてのエリアには写真、工芸、クラフトなどさまざまな種類の美術工芸品を展示・販売している施設があり、同じようなところといった程度の認識で、1人1000円を払って入場した。

 展示室に掲げられたパネルによれば、後藤純男はいまの日本画の画壇を代表する人らしい。入ってすぐのところにある松島の絵が良かった。2~3メートルの幅がある大きな絵で、朝日に輝く海と、その間に浮かぶ島々の風景は、絵というものを日頃ほとんど見ることがない私にとっても、感動的だった。近づいてみると、島に生えている松と、波の輝きの間が滲んでいた。カメラで撮ればまた違うのかもしれないが、人間の目で見た視覚的な受け止め方に近い表現なのだろう。

 隣の部屋には中国の山の風景を、幅十数メートルにわたって描いた大作があった。左端には太陽が輝き、右端はまだ雨が降っていて、その中間に太陽から雨への移り変わりが描写されている。日本とは違う中国の荒々しい稜線の効果もあって、絵の前のベンチに座り、右から左、左から右へと、しばらく黙って絵を眺めていた。

 観光バスで到着したらしい御一行様が、美術館のスタッフに先導されてその展示室に入ってきた。

「はいはいはい、こちらです。みなさんおそろいになりましたか。このあと2階のレストランで昼食をお召し上がりいただきますが、その前に少しだけご説明させていただきます」

 そのスタッフは、現代の日本画がどのような材料を使って描かれるのか、後藤純男という人が経歴を歩んできた人なのかなどを簡潔に説明したあと、こんな情報を加えた。

「ひょっとしたら後藤純男という名前を聞いたことがない方もいらっしゃるかもしれませんが、昔、『違いのわかる男』というコマーシャルのシリーズがあったことはご存知ですね。あのコマーシャルで、遠藤周作さんの次に登場したのが、後藤純男さんでした」

 会場内ではかすかなBGMが流れていたと思うのだが、その瞬間、私の頭の中で「ダバダーダバダバダーダバダー」が流れ始め、作品よりも前に、ネスカフェゴールドブレンドを味わう画家がつかつかと歩み出てきた。そのCMを直接覚えているわけではないが、作品がブラウン管に数点映しだされ、アトリエでの創作活動に続いて、左手で受け皿を、右手でカップを持ちながらコーヒーを味わう後藤が出てくることくらい、容易に想像できる。

 スタッフが続けた。

「みなさんからよく質問されるのが、当館で展示している絵がいくらくらいなのかということです。皆さんがいまご覧になっている絵は、どれも数億円です」

 そんなことを聞かされてしまっては、絵の中身などどうでも良くなる。中国の紫禁城、西安の農村、奈良の寺、京都の雪景色、そして美術館と向き合うように並ぶ十勝岳連峰。どの絵を見ても、「これは3億、いや、金箔がふんだんに使われているから4億にしておこう」と、知識もないのににわか鑑定人になってしまった。

 それまで素直に感動していただけに、入館したばかりの団体客に対して、美術館のスタッフがなぜ、絵の値段のケタを宣言したのかが理解できなかったが、芸術品に限らず、ある商品が社会にどう評価されているのかは、個人にとっても重要な要素だ。テレビ業界の人間でなくても、高視聴率のドラマなら見たくなる。本を読まない人でも記録的なベストセラーと聞けば買いたくなる。いまから約3年前「生キャラメルって、そんなおいしくはないよね」と言う人は例外的だったはずだ。

 絵画の場合には、評価づけのための明確な数値がないだけに、美術館のスタッフが展示品の価値を印象づけるには、値段を言うのが一番効果的だったのだろう。団体客のなかには、もともと後藤の作品にはあまり関心がなかったが、「億」と聞いた途端に熱心に鑑賞するようになった人もいたかもしれない。

 ただ、何百円という単位でも節約しながら生きている私にとっては、「億」の刺激が強すぎたのか、¥マークのない清らかな心では、鮮やかな色を惜しみなく使った大作を鑑賞することができなくなってしまった。むしろ、本格的な創作の合間に後藤が描いたと思われるシンプルな素描を眺めていた。

 月に1回、いや年に1回でいいから、「¥105」という嘘の正札、「ザ・後藤純男」という嘘POPとともに同じ作品を展示すれば、億単位の値段だの、画壇における評価だの、不純な要素に邪魔されずに、それまで気が付かなかった魅力が浮かび上がって来るような気がする。

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昭和

 先日参加した昼食会。不況に抗してまずまずの経営状態にあると思われる企業の役員が吐き捨てた。「学生向けの就職説明会で、となりの企業のブースには長い列ができてる。うちのブースの前は『パラパラ』程度。事業の説明しても、うちに就職する若者なんてほとんどいないよ」。

 その企業は、決して先行きが楽観できない業界、道外にも展開しているため転勤が不可避であることなど、学生から見ればマイナス要素はたくさんあるのだろうが、その役員が口にしたもう一つの理由に驚いた。

「うちの社名に、『昭和』が入るのがダメなんだ。古臭い社名だと敬遠されちゃう」

 昭和が終わってからもう少しで四半世紀。いま就職の時期を迎える人にとり、「昭和」は私たちにとっての「大正」、ひょっとしたら「明治」と同様の響きがする言葉なのかもしれない。その企業はおそらく、まだ「昭和」という響きに新しさが含まれていたころに創業・命名されたのだろうが、それがいつか仇になるとは創業者も予想できなかっただろう。

 嘆きの会社役員のとなりに座っていた別の役員が、こう続けた。「そうなんですよ。カタカナの企業のブースのほうが、たくさん学生が並ぶんです」。

 その人が実例に挙げた企業は、カタカナ3文字に長母音の記号が1本。厳しい不況の続くこのまちにあっては、躍進著しい。学生の人気が高いのは業績が良いからだろうと反射的に思ったが、ひょっとしたらカタカナ系の会社に優秀な若者が集まり、その結果として業績が伸びたのかもしれないと思えてきた。

 カタカナ企業の人気は、私が就職活動した約20年前、いやその前から指摘されていた。いかつい響きの漢字社名を、語末が「ックス」となるカタカナ社名に変更する企業が多かった。しかし当時はまだ平成が始まったばかりで、「平成」を社名に冠した企業は新しいというよりも頼りなかった。当時、「昭和」は求職者に敬遠される理由になどならなかったはずだが、いまの若者は昭和なんて知らないのだから、いやがるのも当たり前か。

 もしも昭和が古臭いとすれば、大正はどうなる。「大正製薬」という社名は極めて重い「負の遺産」なのか。

 「ファイトー」「イッパーツ!」

 屈強な若者2人が最後の2語にことさらに力を入れるのは、タウリン1000mgがエナジーサイクルに作用しているからではなく、大正の古臭さを中和したいからなのかもしれない。

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大盛

 このまちに1軒だけ、吉野家がある。こういう業界はスケールメリットが収益を大きく左右するらしいので、札幌から1軒だけのために食材を運んでこなければならない現在の状況で採算が取れるのかどうか疑問なのだが、先日、昼食をとるために行ってみると、そこそこ混んでいた。車で数分の距離に、この吉野家を挟み撃ちするかのようにすき家が2軒オープンしたときにはもうダメかと思ったが、あれくらいの混み具合なら安泰であろう。

 私は豚肉生姜焼定食を注文した。牛肉よりも豚肉のほうが好きなので仕方がない。注文のあとでメニューを見たら、消えたはずの豚丼がいつのまにか復活しており、少し後悔した。

 その直後、私の斜め後ろで「大盛りひとつ」という声がした。年齢は私と同じくらい。橫には妻らしい女性が座っている。その店が面している道は観光スポットに向かう経路でもある。観光でこのまちを訪れ、レンタカーで全道を回っているうちに、ラーメン→ジンギスカン→カニ→ラーメンのローテーションに飽きたちょうどそのころ、懐かしい看板を見つけて立ち寄ったのかもしれない。

  その男性客が「牛丼の大盛り」ではなく「大盛り」とだけ言ったということは、吉野家は牛鍋丼でも豚丼ではなく、ましてやカレーでもなければ、定食類でもなく、牛丼を食べる店だと認識していることになる。考えてみれば、私が東京で吉野家に通っていたいたころ、朝の定食類を別とすれば、メインのメニューは牛丼と牛皿だけだった。「大盛りひとつ」の客も、当時から吉野家の忠実な顧客だったのだろう。

 その店を代表するメニューを、一部を省略して注文するのは「通」に聞こえる。みなまで言わんでも、足しげく通っている客なんだから、私と店員の間で暗黙のコミュニケーションが足り立つでしょうという宣言である。情報の一部を伏せるのが「大盛りひとつ」だとすれば、すべてを伏せてしまう究極のかたちが「いつもの」である。

 私には「大盛り」とだけ注文をした経験がないが、逆の経験は毎週のようにしている。汚いが繁盛している地元資本の定食屋のちょっときれいなおねえちゃんは、私が豚の角煮定食を注文するだけで、「半ライスですね」と確認する。そのときおねえちゃんが私の顔を直視しておらず、少し目を伏せているのが気になるが、まあいい。そんなことをいつまでも気にしているような輩に豚の角煮定食はにあわない。

 さて、吉野家にはこれからも時々行くだろうが、私は一部を省略することなく、すべて明示するかたちで注文しようと思う。「大盛りひとつ」という注文に対する「牛丼の、ですか?」という切り返しに、男性客が「あ、は、はい」と少し動揺するのが聞こえてしまったからだ。

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